第八六号(昭一三・六・八)
ソ連邦第三次五ケ年計画の全貌 企 画 院
時局と転向者の活動 司 法 省
産業労働者と健康保険 保 険 院
戦況西方に発展す 陸軍省新聞班
広東の恐怖 海軍省海軍軍事普及部
ブラジルの新移民法 外務省情報部
新しい補助貨幣と五十銭紙幣
ゴムを大切に
最近公布の法令 内閣官房総務課
週報・写真週報ポスター懸賞募集規定
時局と転向者の活動 司 法 省
はしがき
支那事変は、支那の民衆を共産主義の害悪から救
ひ、軍閥の圧制から解放して真に東洋永遠の平和を樹
立するところに、真の意義があることは論ずるまでも
ないことであるが、我が国民大衆がこの大理想を充分
に認識理解して現下の時局に当つてゐるか否かは、今
事変の終局的解決竝びに事変後経営の成否に重大なる
影響を持つものである。
この意味に於て、国内の思想的動向の善導は、前線
に於ける軍事的行動に劣らぬほどの重要性を帯びて居
り、国民精神総動員運動の提唱も、かうした見地から
行はれたものと云つても差支へないであらう。かゝ
る重大なる時期に於て、かつて敗戦主義や対支不干渉
を唱へ、或ひはソヴィエト・ロシアを労働者の祖国で
あると主張した左翼思想犯の動向は、社会各方面の注
目するところとなつた。ところが支那事変が勃発する
や、全国六万をもつて数へる左翼思想犯の大多数は反
国家的行動をとるどころか、かへつて率先して事変の
意義を理解し、かゝる国家重大の秋に於て過去の過失
を償はんものとの献身的態度を示したことは、われ
われの大きな喜びの一つである。
勿論、かうした転向は今事変に際して突如として現
はれたものではなくて、過去数年間に亘る絶えざる指
導と保護の結果によるものである。即ち、昭和五年頃
より共産主義理論の誤謬についての批判は、左翼思想
犯の内部から発生しつゝあつたのであるが、当局は民
間保護団体と協力し、この傾向を一歩進めて日本精神
の自覚へと誘導し、さらに彼等の生活を輔導すること
によつて、国民的生活への復帰を図つたのであつた。
恰かも一昨年(昭和十一年)十月より施行された「思想
犯保種観察法」は、従来民間の手にのみ委ねられてゐ
た保護事業を法制化した最初の企てで、運用以来著々
と効果を収め、関係職員竝びに社会各方面の協力によ
つて左翼思想犯の転向を促進し、進んでこれを国家有
用の材幹として更生させようと努力してゐたのであ
る。又保護観察制度下に於ける思想犯も、この制度の
中に示された大御心に感激し、自己の思想的完成に
精進すると共に、この制度の運用に協力することに
よつて、単に自己の転向のみならず、わが国の青年学
生をして再びかゝる過誤を犯させぬための防共的活動
に身を献げんと志すに至つた。
思ふに左翼思想犯に於ける「転向」とは、その発生の
動機から見ても、又その後の発展の経過から考へて
も、外部的圧力によるところの転換や逃避ではなく
て、共産主義運動の内部的矛盾から生み出されたとこ
ろの本質的な思想的変化である。即ち共産主義運動に
身を投じた者が、その実際運動の過程に於て種々の失
敗を演じ、その結果共産主義の理論的破綻に当画し、
我が国固有の思想的伝統や社会的特殊性がコミンテル
ンの理論と全く相容れぬことに気付き、翻然として日
本人としての自覚を喚びもどしたところに「転向」の出
発があるのである。従つて「転向」とは世人の一部が
考へてゐるやうな思想的「仮面」ではなくて本質的な
変化であり、転向者は日本の伝統的精神や特殊性につ
いて真面目な認識を持つて居り、日本人としての自覚
を明確に意識してゐる点に於て人後に落ちることはな
いのである。転向とは、この意味に於て、立派な日本
人に立ちもどつたことを指すのである。
支那事変勃発に際して、彼等転向者群が率先して立
ちあがり、愛国運動の第一線に参加したのも、彼等の
転向の本質と経過を知る者にとつては決して不思議な
ことではない。彼等のうち応召した者は戦線に於て立
派な働きを示し、銃後にある者は全国の保護観察所の
指導の下に、各方面に亘つての銃後活動を積極的に展
開し、かつての共産主義者さへも奪然起つて国家非常
時を負担しつゝある事実を示した。かゝることは実に
全世界に類例を見ないところであり、我が民族的結合
力の強固さを示す好適例と云ふことが出来る。以下事
変勃発後の各地の転向者団体の活動状況を記し、転
向者が如何に活動しつゝあるかを伝へたい。
献金活動と応召者後援会
昨年七月支那事変勃発の直後、東京以下二十一ケ所
の保護観察所では、管内の転向者を集めて「時局対応
懇談会」を開催し、事変に対する見解を忌悍なく披瀝さ
せた。その結果は何の異論もなく政府を支持し、皇軍
の方策を確認し、「我等転向者の一人残らずが率先して
国民の第一線、又は銃後に於ける一切の活動に積極的
に参加し、我等が社会復帰を具体的に完成せしめるた
め万全の力を恪(いた)すこと」を申し合せ、その第一著手とし
て国防献金運動を起すことが決議された。この献金運
動が起ると、人夫として働いてゐる転向者が一日分の
日給を届けて来るとか、貧しい農民として更生の生活
を踏み出した者が、「中食を水に代へて作つた金です」
と銅貨五十銭を握つて六里の道を自転車で届けに来る
とか等々の挿話が各地の地方新聞の紙面を賑はしたも
のである。又一方、水戸地方では転向者を中心とする
飛行機献納運動が行はれ、地方民の理解ある強力に依
つて彼等貧しい生活から八百四十六円の浄財が集ま
り当局に献納したといふ話もある。しかもこれらの献
金運動は、全く事変勃発の直後、事変がこゝまで拡大
するかどうかさへ判然しなかつた当時に於て、非常
に熱心に行はれたものであつた。事変が進行すると共
に、同友間の献金のみならず、街頭に立つての国防献
金募集運動など、全国各地に活溌に展開されたのであ
る。
又、転向者の中から応召して晴れの征途につく者が
続出するや、かつては反国家的態度を執り社会に叛逆
した身が、今は 大元帥陛下の股肱として国家非常時
のお役に立つことが出来るといふ喜びは、応召者自身
のみならず転向者全般のものとなつた。そして応召者
に後顧の憂ひなく充分活躍させると共に、各自が銃後
国民としての自覚を深め、銃後の諸機関に協力する目
的から、「銃後会」或ひは「応召者後援会」が各地に設
置された。
応召者後援会の活動の主要目標は応召者の歓送、応
召者の家族保護、銃後活動の相互連絡、奨励等で、転
向者たる会員各自の醵金に依つてこの事業が営まれる
建前となつてゐた。これにづいては最初特向者として
特別の機関を持つことが必要であるか、どうかゞ話題
に上つたが、すべて左翼思想犯の運動といふものが連
帯的関係を以て行はれたのに鑑み、その社会復帰も連
帯性を考慮しつゝ自粛自戒させる必要があらうと自
らこの組織を持つことになつたわけである。
この運動には全国転向者の殆んど全部が動員され、
出征者の歓送、家族慰問金の募集、出征者慰問品募集等
に幾多の感激的な情景を展開した。転向者で戦線の華
と散つた者五名に及び、殊に昨年十月従軍し、挺身隊
に加はつて斃れた曾木克彦君の最後の如き、銃後転向
者を感奮せしめたのみならず、同部隊の華として伝へ
られたのであつた。過去に於ける重大な過失をこの際
に償はうとする衷情は、彼等をして忠烈な戦闘的精
神に燃え立たしめてゐるのである。
国民精神総動員への参加
政府の国民精神総動員の実施に伴ひ、転向者の間
に起つた銃後奉公の運動は、すべてこの一線に統一さ
れ、「全日本司法保護事業聯盟」の指令に基づいて献身
的に努力することが申し合はされた。このために時局
に関する講演会の開催されること八十二回、時局対応
懇談会の開催数百六十一回、座談会パンフレット(国民精
神総動員に応ぜよ)の発行その他に依つて支那事変の意
義を認識し銃後の具体的活動を協議した。(昭和十二年
十一月末調)その結果は各自が身を挺して国民精神総
動員の実施に参加し銃後の赤誠を通じて聖戦に協力せ
んことを期したのである。
国家総動員の根本義が、一億の国民が一人残らず重
大国策の遂行に参加するものである限り、これを国民
大衆に理解せしめ国策の方向を指示するには、彼等の
過去の経験が或る場合大いに役立つものである。殊に
支那事変が防共戦の性格を有する以上、かつての思想
犯が翻然として民族的使命に覚醒し、愛国運動に参加
するといふ事実は国の内外に及ぼす影響が決して少く
ないのである。
この国民精神総動員参加を一層強調するために「転
向者の前線将士慰問団」が派遣された。慰問団の使命
とするところ」は
一、思想転向者自身が現地を慰問することにより挙国一致
事変の徹底的解決に邁進してゐる旨を伝へること
ニ、転向者層代表者を現地皇軍慰問に派遣するといふ事
実を通じて同僚の銃後的活動を促進させること
三、皇軍慰問による感銘を国民に伝へ銃後の思想国防に寄
与すること
の諸点に在つた。
慰問団は北支、上海の二班に分れ、北支斑は昨年十
月二十四日、東京保護観察所舗導官中村義郎氏引卒の
下に藤井哲夫以下五名が二百余名の転向者に送られて
東京駅発、伊勢神宮に参拝祈誓し一路天津に向ひ、一
部は大同へ、一部は石家狂を経て豊楽銀へ、何れも当
時の前線にまで赴いた。又上海班は大阪保護観察所長
安達労清氏引卒の下に野田律太以下四名が、十一月七
日に神戸港を発し上海戦線に向ひ、砲煙の余燼を踏ん
で皇軍将士を慰間し、或ひは艦隊を訪ね、ともに使命
を果し待たのである。
両戦線慰問団は帰国後直ちに報告後援会、座談会等
に席の温まる暇もない活動を開始した。座談会では体
験を転向者同友に語り、講演会では転向者として赴い
た慰問団が、前線で感受した皇軍将士の勇壮な護国の
精神と、皇軍が真に支那の民衆を労はりつゝ、東洋平
和の礎石を据ゑるために努力する聖なる相(すがた)を一般大
衆に訴へて、銃後の挙国一致を熱烈に要望したのであ
つた。
他面、転向者の国民精神総動員運動への参加は、
郷党と共に、都市では勤労報国を中心として、農村で
は銃後の厚生運動等を目標として健実に進められた。
旧臘十一月五日日本文化協会主催の時局講習会出席者
によつて全国転向者第二回懇談会が東京保護観察所に
開かれ、その席上で、かつての共産主義運動から離脱
してコミンテルン勢力に衝撃を与へた人々が、更に今
度は聖戦への果敢なる進撃を申し合はせ、「時局対
応全国委員会」が設置された。そしてその翌日に日独
伊三国防共協定成立が発表され、これ等転向者の感慨
無量のものがあつた。
時局対応全国委員会設置要綱
名称 時局対応全国委員会
創立趣旨 全日本司法保護事業聯盟の国民精神総動員実施
参加要網に遵ひ、思想転向者の自主的活動の共助連絡
を図り、全国保護観察所竝びに保護団体の方針に協力
し、精神総動員実施参加の充全を期せんとす。
かくして時局対応仝国委員会が結成され、国民精神
総動員支持強化の件、銃後後援事業の積極化の件、北
支建設工作への協力の件等を討議研鑽し、転向者の愛
国活動の万全を期さうとした。
その席上国防献金を行ひ、北支、上海両派遣軍司令
官及び艦隊司令長官に感謝電報を送り、当時恰も前線
にあつた、同僚の全日本司法保護事業聯盟派遣皇軍慰
問団に対して激励電報を発して、銃後国民の赤心を訴
へたのである。
この協議を実践する手始めとして各地転向者が協
力して慰問団の現地報告演説会を開催し、思想国防の
強化に寄与する処あつたが、その主なる講演会開催数
百二十八回、その範囲は東京を中心とする関東の各都
市、中部地方、四国地方、九州地方、中国地方の主要
都市に及んでゐる。
この時局対応委員会は近く組織、機構が更に拡大さ
れ、時局に順応して生活の刷新、労働奉仕、応召者後
援、国民精神作興、国策への協力等国力増強を目的と
する各般の適切なる活動が開始されることになつてゐ
る。
国策の線に沿うて・・・
思想国防の強化を唱へるに至つた思想転向者は、防
共日本の中堅たる誇りをもつて、国家総動員体制の
確立に参加することを期してゐる。しかも彼等は往
年の過誤を再び繰り返さないやう、遠心的よりは求心
的に自己の脚下よりこれを建設しううと考へてゐる
やうである。
(一) 農村転向者たちは時局下の農村厚生運動と自
己の更生運動とを不可分とし、模範的な態度を以て農
村更生に身を捧げようと意図してゐる。これに対して
は、旧臘十二月東京で「非常時局下農村対策講習会」が
行はれ、次いで今春三月中旬三重県久居町で「農村更生
指導者講演会」が開かれ、彼等は規律的生活の中に当
局者の指示を受けたのである。講習会の知識は帰郷後
報告会を開いて同僚間に発表され、地方的実情に即し
た方策を樹立してその実践を約し、とき/"\参集して
その経験を検討し、或ひは新方策を研究する等の営み
を重ねて、各農村転向者はその居村の厚生運動の進展
に努めてゐる。もつとも転向者の努力に依る経済更生
村として千葉県印旛郡豊住村といふ光輝ある存在は、
彼等のこの営みに無言の激励を与へてゐるのである。
(写真週報第三号参照)
(二) 知識的転向者は又「知識報国」の貫徹を期して
今春一月、東京に「国民思想研究所」を設置し「国家的
立場に立ち国民の思想竝びに生活の絶えざる発展に貢
献せんがために開発の線に沿うて各種問題の調査研究
に従事し、合理公正なる建設的方途を閘明にすること
を以て目的とし」、あらゆる技能を有する転向者を組
織して各個人の持つ優秀な能力を発揮せしめ新日本文
化の積極的樹立を企図してゐる。演劇関係方面でも文
化国策を自覚して新らしいものの建設をめざし、文筆
に携はる者も亦自主的に、日本文化の国家的建設に、
各自の有する特技を発揮しようと、教養ある青年たち
は各研究会に属して技能の練磨に力めてゐる。
去る二月東京で開かれた内閣情報部主催の思想戦展
覧会には全日本司法保護事業聯盟の製作品が出品され
たが、これこそ転向者の「知識報国」の一つの表はれ
で、彼等自らの経験を基礎として国内防共活動の方向
を示した。
(三) 勤労転向者は生産力拡充の国家的要求に応じ
ようと重工業への参加を志し、金属輔導場(帝国更新
会)等にあつて共学的鍛練によつてそれ/"\後進を育
てながら勤労報国に励みつゝあるが、この種輔導場の
設置は彼等の熱心な要望であり、目下その増設が思想
犯保護団体たる明徳会その他に於て計画されてゐる。
(四) 中小商工業に従事する転向者は相互扶助の
連繋を保つて経営研究会等を開催し、(昭和十三年四月)
各々の仕事の成功を期して勉励してゐるが、これにつ
いては斯道(しどう)の有力者が随時指導した結果、大体に於て
好成績を収めてゐるものと認められる。
(五) 皇軍郷土慰問団の現地報告は転向者をして充
分に支那事変の聖戦的意義を認識させた。即ち彼等が
かつてコミンテルンの理論による植民地解放問題とし
て取扱つた処の支那は、いまは却つてソ聯邦の極東政
策の犠牲となりつゝある事実が明らかとなり、皇軍こ
そ千艱万苦、封建的軍閥政治を粉砕し、狡猾なソ聯そ
の他の経済的侵略を排除して、支那の民衆を救済する
役割を果してゐるものである。しかも一点の領土的
野心をも有せず、八紘一宇の日本精神の余沢を頒(わか)たん
とする皇軍の雄渾な精神は、転向者をして過去の誤
れる支那観を清算し、彼等も亦現在進行しつゝある大
陸に於ける大事業に参加せんとする熱意を抱かしめる
に至つたのである。殊に大陸に於ける防共的活動に身
を挺して赴かんとする気運が起り、「武器無き戦士」と
して軍宣撫班員を志願して採用された者もあり(昭和十
三年三月)、当局の諒解を得て自主的に宣撫工作に当る
べく大陸に鹿島立つ者もあつた。(昭和十三年四月)
最近、軍及び東京保護観察所の立合の下に審査推薦
された十名の転向者は、司法省の後援を受けて上海に
渡航し、現地に於て規律的合宿を行ひ支那語の習得、
支那事情の研究に勉学しつゝあり、大陸に於て真に有
用の人物たるための再教育を受けて後、民衆工作に乗
り出す準備中である。かゝる真剣、慎重な態度は全国
の転向者を奮起せしめると共に、現地に於ても各方面
の信頼の念を深めつゝある模様である。彼等が祖国を
離れるに際して「かつて赤旗の下に生死せんとした我
等が、いまや日の丸の下に死を盟ふことの光栄」に感
激した事実を国民諸士に伝へて、転向者が今日如何な
る確信の下に行動しつゝあるかの説明に代へたい。
む す び
蒋介石は長期抵抗により日本の国内相剋の激化に期
待をかけてゐるのであるが、我が国に於て最も憂慮さ
れた左翼思想犯が、上述の如く自ら進んで挙国一致体
制に参加協力したのみならず、さらに後進の青年学生
をして再び彼等の犯したやうな過誤に陥らしめぬや
う、共産主義防遏のために積極的活動を展開しつゝあ
る事実は、われ/\が縛りと確信とをもつて「事変下
の日本に思想的不安無し」と内外に報告し得る所以で
ある。
これこそは当局の保護指導宜しきを得たと云ふだけ
ではなく、誠に皇国の精神的精華がかゝる非常時局に
於て発揚され、大御心の下に民族一致の本来の姿を示
顕したものに他ならない。去る五月五日 聖上陛下に
は司法長官全部に対し御陪食を仰付けられた際思想
犯保護について「出来るだけのことはする必要がある」
との有難いお言葉を賜つた。諸外国に於ては共産主義
者の如き確信犯の転向は不可能とされてゐる時、我が
国に於ては思想犯の殆んど全部が転向し愛国運動に参
加してゐる事実こそは、この広大なる大御心によるも
のと、当局もその監督下にある転向者も恐懼感激し、
新たな決意をもつて奉公の誠をいたさんと努力してゐ
るのである。