遊 就 館 と 海 軍 館
遊 就 館
靖国神社社殿の北方に側して立つてゐる宏壮な建築物が遊就館で、殉難陣歿者の遺した武器什物を蒐め一は英霊の遺徳を頌し一は後昆(こうこん)に多大の感孚を与へてゐる。
館の創立は明治十年西南戦争の鎮まつたころから建設の議が高まり、遂に明治十二年五月六日靖国神社附属の掲額及び武器陳列場として工を起し、同十四年五月四日落成したのがその初めである。
設計は工部省御雇外人技師の担任で、原型を伊太利城式に採つたもの、その名称は荀子勧学篇の「遊必就士」の語を採つたものである。そして故陸軍大将 有栖川宮熾仁親王殿下の御揮毫を乞うて館正面に掲額することとなつた。
爾来幾多の変遷を経、殊に大正十二年九月一日の大震災は建物に甚大の被害を与へ殆んどその大部を倒壊したのであるが、幸にも陳列品の損害が比較的僅少であつたのは一に祭神遺徳の賜である。震災後直ちに仮建物を急造し更に宏壮雄大な本館は昭和六年竣工落成した。
陳列品は最初各藩又は個人の献納品及び兵部省の交付品等であつたが、日清日露の二大戦役等によつて祭神関係の遺物竝びに戦利品等の出陳(しゆつちん)を見、その数を激増するに至つた。
陳列の什物中には畏くも 明治天皇、 大正天皇、 昭憲皇太后御遺物、有栖川宮熾仁親王、 小松宮彰仁親王の御遺物を始め奉り、乃木大将夫妻の遺品、特に大将自刃の際の軍服軍刀を始め、殉国の士の武具写真等を多数蔵してゐる。その他戦国古来より現代に至るまでの武器什物等も配列され、今や祭神慰霊の殿堂たるのみでなく、武器の沿革や軍事上の参考に資すべき本邦唯一の武器博物館としても名実共に備はつてゐる。
なほ特記すべきは明治十九年五月宮内省より御物の御貸下げを賜はり、同二十九年には靖国神社例大祭時にのみ同様の特典を与へられ、今もなほ継続されてゐることで、かく皇室の御殊遇に浴してゐるのは本館が絶大の栄誉とするところである。
又明治四十二年十二月から国宝の出品を見ることとなり、ために数多(あまた)の名刀宝剱が陳列せられ斯道の研究者に至大の便宜と実益とを与へ、我が国刀剱界の一大権威たるに於て全く他に匹儔(ひつちゆう)を見ざる盛観を呈してゐる。以て「発為2万打桜1衆芳難2与儔1凝為2百錬鉄1鋭利可レ断レ」」の概を見るべきである。
附属国防館
附属国防館は昭和九年四月の開館(建築費は東京市三谷てい子氏の寄附による)で、満洲上海事変に際し発揮された国民銃後の熱誠を記念すべき物件を始めとして、我が陸軍に於ける最新の科学兵器を陳列し、その機構を努めて動的に表示し観覧者の理解を容易ならしめ、各種実験によりこれと体験させる外、講演映画をも公開し、科学国防の観念普及に資してゐる。
海 軍 館
海軍館は東京市渋谷区原宿三丁目(東郷神社建設地東隣)にあり、海軍軍事の普及及び海国精神の涵養を目的として設立されたもので、昭和十二年の春開館した。
館内陳列室には艦船兵器その他の模型等現代海軍を表現すべき物件、海軍歴史の沿革やその戦勲を記念すべき記念品、参考品、図書館、絵画等を多数陳列して参観に供し、平易に理解、認識させるためにパノラマやジオラマも造られてゐる。そのほか海軍に関係ある図書を多数整備してゐる図書室及び約五百名を収容し得る。講堂もあつて何れも一般に公開してゐる。
(遊就館、国防館及び海軍館は靖国神社大祭に当り祭神遺族、陸海軍軍人その他規定該当者に限り無料で観覧することが出来る。)
週報第79号(1938.4.20)
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