第七三号(昭一三・三・九)

  陸軍記念日に当りて  陸軍省新聞班
  国民融和週間に就いて  厚生省
  護りは固し銃後の台湾  台湾総督府
  山西省の敵軍壊滅近し  陸軍省新聞班
  海空軍の戦果輝く  海軍省海軍軍事普及部
  不法・ソ連の圧迫  外務省情報部

 

陸軍記念日に当りて   陸軍省新聞班


   一  奉天会戦を偲ぶ

 時は正に三月十日、第三十三回の陸軍記念日を迎へることになつた。此の日は過ぐる日露の役に於て、我が先輩つはものが力戦奮闘奉天大会戦に於て大勝利を博し露軍の死命を制し、五月二十七日の日本海の大殲滅戦と相俟つて日露戦争を終局に導き、我が国威を中外に宣揚し世界歴史に輝かしき一頁を飾つた良き日である。我が先輩国民が義勇奉公の熱血を以て国難を打開し遂に其の実を結んだ日である。
 今茲に当時の先輩奮闘の歴史を繙くに真に感慨深きものがある。明治三十八年二月二十日奉天会戦に先ち満洲軍総司令部が各軍司令官を会し攻撃準備の命令竝びに訓示を与へた。其の訓示の第一頁は次のやうである。
 「近く目前に横はる会戦に於ては我は殆ど日本帝国軍の全力を挙げ、敵は満洲に用ひ得べき最大の兵力と思はるゝ軍隊を提げて以て勝敗を賭せんとす。是れ重要中の重要なる会戦にして此会戦に於て勝を制したるものは此戦役の主人となるべく実に日露戦争の関ヶ原と云ふも不可なからん、故に吾人は此会戦の結果をして全戦役の決勝となす如く勉めざるべからず」
我が国運を決定せる奉天会戦は川村大将の率ゐる鴨緑江軍、黒木大将の率ゐる第一軍、野津大将の率ゐる第四軍、奥大将の率ゐる第二軍及び乃木大将の率ゐる第三軍即ち日露戦役出征部隊の大部分が之に参加し、三月一日総攻撃開始以来我が巧妙なる包囲作戦に、クロパトキン将軍も施すに術(すべ)なく、旬日に亙る奉天死守も我が将兵の猛攻に撃ち破られ、三月十日北方の逃げ口より辛うじて術潰走(くわいさう)したのである。我が戦闘総員二十四万死傷七万、之に対し露軍の戦闘員は三十二万、死傷九万、軍旗三旒、砲約五十門、俘虜二万一千であつた。
 大会戦の捷報一度伝はるや列強の輿論は斉しく帝国軍の勝利を嘆賞し、露国が速かに和を講ずるを以て賢明なる得策なりと為した。露都に於ては十一日クロパトキンより「昨夜我が全軍退却に著手せり」との簡単なる電報が到著したに過ぎない。何人も敗北の程度を知るに由なく悲観論者はクロパトキンは包囲せられ第二のバゼーヌ元帥(普仏戦争の時のメッツ要塞司令官)となるだらうと心痛し、群衆は参謀本部に押し掛けて詳報を呉れと叫ぶ悲壮な場面が現はれた。然し露都人民の多くは極東の軍隊が大敗を受けたのも敢へて意に介せざる有様で、唯新聞号外売がクロパトキンの三行報国を売り歩いたとのことである。
 旧臘首都南京陥落当時の支那の有様と思ひ比べ感深きものがある。


   二  奉天会戦直後の持久戦情勢

 奉天会戦は三月十日を以て我が軍の大勝に帰したが、敵は依然予定の退却と豪語し鉄嶺に拠り更に遠く哈爾賓迄来いと意気巻いて居つた。当時大本営は奉天戦後如何にぜば敵を屈伏せしめ和を請ふに至らしめ得べきやに就いて苦慮焦心した。
三月十三日夜、大本営は満洲軍総司令官より政略戦略一致に関する意見具申を受取つた。其の要旨は次の様である。
「益々進んで敵を急迫すべきか将た又持久作戦の方針を取るべきかは一に政策と一致致せざれば幾万の生命を賭して遂行せらるべき戦闘も無意義無結果に終るべし…中略…要するに尚進んで敵を急追するも持久作戦方針を取るも予め備ふる所なかるべからず云々」
尚ほ三月二十三日には参謀総長は戦局の前途遼遠なるを観破し、陸軍大臣の同意を得て政戦両略概論なるものを立案し、時の総理、大蔵、外務の三大臣に開示し其の努力を要求した。其の政戦両略概論なるものを見るに今次支那事変の経過に照し「歴史は繰返す」と云ふか、我々の先輩も我々が今奮闘しつゝあると同じ情勢に於て健闘し呉れたることを今更ながら痛感する次第である。今其の要点を抜き書きしてみると
「…奉天の勝利斯の如く顕赫にして殆ど人力以外の成功なりと思はるゝ者ありしにも拘らず、敵国の政府は依然として其意志を改むることなく更に数十万の軍隊を派遣して以て戦争を継続するに決したるが如し…中略…我も亦須らく当初の覚悟を固持し、之より進んで第三期の作戦計画に入るべきなり…中略…執拗なる敵国は未だ俄かに和を求むるに至らざるべし、否今日迄の情勢によりて之を案ずるに彼れは莫斯科、彼得堡にまで侵入せらるゝにあらざれば決して自ら和を乞ふ如きことなかるべきなり。されば愈々進んで哈爾賓を攻撃するには、須らく非常の忍耐力を発揮し、敵国の首府にまで進入するの決心を以て之に従事せざるべからざらるなり。只敵国の内情愈々紛乱を長じ上下の乖離其極に達して到底外戦を事とするに堪へざるに至らば、彼も窮して遂に和を乞ふの止むなきに至るべしと雖も、斯の如きは固より我の得て恃むべき所にあらず、従て今回の戦争は尚数年に継続するものと断定せざるべからぎるなり。前途悠遠なりと云はざるべけんや、座して守勢を取るも進んで攻勢を取るも孰れにしても前途悠遠にして容易に平和を回復し得るの望なく…中略…之を要するに第三期の作戦は最も重大にして万一違算あらん乎赫灼たる従来の戦捷も半は水泡に帰せしむるの慮なきにあらず、云々」
右の政戦両略概論より大本営爾後の作戦方針は立案せられ、兵備急設案は著々実行せられたのであった。然し当時の我が国民は官民一隊、億兆心を一にし真に国民精神総動員の実を挙げ此の持久戦にも打ち勝つたのである。

   三  長期戦の急務と其の性質 

 今次の支那事変は皇軍の目覚しき活躍により、過去八ケ月に於ける成果は真に絶大なるものがあつた。此の間支那軍は当初の自負にも似ず、到る所に惨敗を続け、其の死傷は数十万に達し、空軍亦多大の損害を受け、今や著しく其の戦闘力を減殺したる状態にあり、而も首都南京を逐はれた国民政府は、遠く重慶、漢口、長沙等の奥地に分散逃避して充分に其の機能を発揮し得ざるのみならず、政府内部には秘かに和平を望んで暗躍するものあり、或は共産党の策動と之に対する勢力争ひ等ありて次第に内部的分裂又は崩壊の兆を見せ、又経済的には近代産業機関の大部が破壊せられ、而も海関其の他の減収により財政は頗る不健全となり、其の窮乏の状は察するに余りある。
 従つて今や其の主力軍を以て我れと正面衝突の上雌雄を決するが如きは殆ど不可能の状態となり、今後は専ら欧米列強の援助に頼つて其の頽勢を挽回しつゝ緩慢不規なる抵抗によつて長期戦を策し、我が国の疲弊困憊と之に伴ふ内部的対立混乱等を待つて最後の勝利を得んとする魂胆の様である。されば嘗ては国防会議の席上「和すれば必ず乱れ、戦へば必ず敗る」とて悲嘆に幕れたと称せられる蒋介石も、今は「長期抵抗は終に勝利に帰す」と宣伝豪語しつゝ飽くまでも抗戦の妄動に狂奔しつゝある。国民政府が斯くまでも頑強執拗に抵抗を決意せるは、全く日本の真意を解ぜざる憐むべき蒙昧に基づくもので、彼は日本を以て横暴なる侵略者と為し抗日戦は一に支那独立権の擁護と国際正義の為に外ならずとなしてゐる。
 右は全く過去の功利的侵略主義の幻影に怖え、自ら妄想を描いて戦慄せるものといふべく、而も其の間彼は近来の思想的経済的侵略の魔手が極めて巧妙に偽装して其の内部に深く侵入蚕食しつゝある事実を全く知らざるやの観がある。此の迷妄を打破し、真に覚醒を促して正道に復帰せしむるところに今次事変の意義があり、且日本の重大なる使命があるのであるが、支那の実情と立場とは之を覚醒に導くに極めて困難なるものがある。
 何となれば今日迄の戦果により阜て、北支竝びに江南地区一帯は我が軍に攻略せられたのであるが、此等は支那全土よりすれば僅かに一局部に過ぎず、猶支那は我れに十数倍する広大なる国土と且又多数の国民とを擁して其の余命を維持するには極めて根強き底力を有し、而も彼は近代的国家としての態様と、核心的要地とを有せざる等の関係上、其の受けたる打撃の甚大なるに拘らず、痛痒を感ずること比較的薄きやの感すらあるからである。首都南京が陥落するに及んでも尚依然として長期戦を策し得るのも之が為である。
 而も此の間極東に重大なる関係をもつ列国中には、或は武器、弾薬其の他の物資を供給し、或は軍事其の他の指導者等を派して支那を援け、之によつて自らの地歩を保たんと欲し、又は日支の抗争を長期に導きて我が国力の疲弊を策し、以て興隆日本を抑圧せんとする企図すらなきにあらざるを思はしめる。
 従つて事変は自ら長期に亙るべき必然性を有し、我が国の前途には幾多の難関が横たはり、事変の推移は真に容易ならざるものがあるのをしはざるを得ない。即ち国際情勢は頗る複雑微妙なるのみなず、各国権益の甚しく錯綜せる彼の地に於て健全なる新政権の趣設発展に協力すると共に、一面長期に亙る抗日戦に狂奔蠢動する国民政府の剿滅を期する為には、帝国亦長期に亙る覚悟を以て飽くまでも其の目的を達成する如く努めねばならぬ。


    
四  長期戦の目的と其の対策

 事変第二期に入れる長期戦の目的は、単なる武力的膺懲ではなく、又国民政府に今更反省を求めんと欲するものでもない。
 長期戦其のものが既に単なる武力戦の範囲を脱して、思想、経済、政治、外交等の各部門に亙る国家総力戦の形態をとり、持久的なるを以て、其の期する所も亦当面一時のものではなく、必ずや高遠なる思想に基づく根本永久的のものでなければならぬ。
 凡そ皇軍の動くは必ず 天皇の大御心によるもので、いやしくも侵略的野望等に基づく乙とは絶対になく、常に天に代りて不義を討つ破邪顕正の大聖戦であり、神武の御威徳の発現である。故に其の目的とするところは建国以来一貫して、正義の擁護で溜り、平和の建設以外の何ものでもない。
 今次事変は、言ふまでもなく、多年に亙る支那為政者の迷蒙と、功利的乃至破壊的侵略の魔手に基づくもので、東亜の事態は茲に根本的革新と救済との為に必然に爆発すべき運命に置かれてゐたのである。従つて事変は一時悲しむべき現象を呈すと雖も、之によつて鬱積する過誤と邪悪とを一掃し、日支間の局面を根本的に転換するを得ば、東亜の平和は期して待つべく、斯くして速かに東亜の道義的文化を建設することが今次事変に於ける出兵の真意であり、同時に今後に於ける長期対戦の直接の目的でもある。
 叙上の目的を達成する為め、帝国の長期戦対策は物心両方面に亙り、国家総動員態勢の完成を図り、之に必要なる諸般の施策を実現し、以て武力戦に伴つて、思想戦、経済戦、政略戦、外交戦等の綜合的威力を発揮し、一はなるべく速かに事変を終局に導くと共に、一は次に来るべき重大なる事態に備へ、以て東亜永遠の平和に向つて磐石不動の基礎を確立せねばならぬ。