第七一号(昭一三・二・二三)
  国家総動員法案に就いて       企 画 院
  建艦通報問題と帝国海軍軍備  海軍省海軍軍事普及部
  戦況
    敵大軍を黄河に圧す     陸軍省新聞班
    長沙に初撃を加ふ      海軍省海軍軍事普及部
  朝鮮の国境警備          朝鮮総督府
  独逸の国防軍改革とその影響    外務省情報部


国家総動員法案に就いて       企 画 院

 政府は此の度第七十三回帝国議会に国家総動員法案を提出してその協賛を求めることとなつた。同法案は戦時に於て国民が如実に一体となつて護国の最高任務に当る為の根幹的事項を規定したものであるから、この際国民一般が同法案に対する十分の認識と理解とを有することが是非必要である。

     一 国家総動員の意義

 国家総動員法案の理解にはその根本に於て国家総動員の何たるかを十分に認識することが前提条件である。
 近代戦争の特質に鑑み、一朝有事に対し、国に兵力の巨大なる整備を要するばかりでなく、これに要する軍用資材の供給を確保するが為には、その供給源たる一国工業力を平時に於て培養助長すると共に、有事に際し、これを平時の態勢から戦時の態勢に迅速且組織的に転移せしめ、その最大能力の発揮を期する為に軍需工業動員の準備あることの必要なることは、現下の事変に於て何人も痛感した所であらう。
 然し乍ら上述の軍用資材の需要充足は必然にこれが充足を担当する国防諸産業の運営上必要な各般の需要の充足を随件する。原材料、燃料、電力に対する需要、運輸通信手段に対する需要、科学的研究に対する需要等所謂間接的軍需の充足確保は直接的軍需と殆ど軒輊する所のない重要性を有する。
 他方此等の直接間接の軍需充足が如何に確保せられたにしても、一般経済の運行時に国民生活上の需要が極度に抑圧せられ、その生物的乃至心理的生存の最低限度が保証せられないならば、啻に軍需充足の根本を阻害するのみでなく、延いては国民の精神を萎微沈滞せしめ、遂には戦勝目的の達成をも阻害するに至るべきことは世界大戦に於て独逸が敗残国となつた経路に徴しても明らかなことである。此の故に近代戦争が大規模且長期に亙る傾向の尠からざるに鑑み、戦時に於ける国家態勢は物的需要充足の見地に於ては、莫大なる軍需の充足と他方に於ては兎もすれば破綻を来さんとする一般経済就中国民生活を確保することを二大目標とせざるを得ない。更に此等の需要充足方策と相表裏する所の金融統制、国民労力の運用、或は国民精神の戦勝目的達成への動員等、要するに近代戦争はもはや兵力のみの闘争ではなくその背後に於ける一国の有する物心両面に亙る総ての力を戦勝といふ一の最高目的に指向せしめ、戦線と銃後とが真に一体となつて、国力対国力の闘争を行はねばならぬのであつて、国家総動員とは実にかゝる事実を指称するのである。
 国家総動員の意義は大要以上の如くであつて、今度の法案第一条に於て「本法ニ於テ国家総動員トハ戦時(戦争ニ準ズベキ事変ノ場合ヲ含ム以下之ニ同ジ)ニ際シ国防目的達成ノ為国ノ全カヲ最モ有效ニ発揮セシムル様人的及物的資源ヲ統制運用スルヲ謂フ」と規定して国家総動員を定義してゐるのは此の趣旨を表明したものに外ならない。従つて本条の事変とは、宣戦布告等のことがない為戦争とは称し難いが実質上戦争と異る所のない対外事変、例へば今次の支那事変の如きを意味するものであつて、天災事変、国内騒擾等の如きものを含まないことは固より当然である。

    二 国家総動員法の必要

 国家総動員の意義は大要以上の如くであるが、その準備及び実施に関し根拠となるべき法律を必要とすることは亦多言を要しない所である。
 現在我が国に於ける国家総動員に関する主なる法制としては、大正七年欧州戦争中の制定に係る軍需工業動員法を有するに過ぎない。二十年以前に於て既に同法の制定を見たことは誠に卓見と云ふべきであるが、併し今日これを国家総動員の見地より観れば、尚幾多の不備あるを免れない。就中最も根本的な欠陥と目せらるべきものは、その規定の範囲が工業動員に限局せられ工業以外の産業の動員に付いて規定を欠き、又此等の産業と表裏関係にある資金の動員に付いては何等規定する所がないことである。その他国民精神の動員、医療衛生、科学等に関する動員、又広く此等の動員に当つて所要の智能、労力を動員する所謂国民労務動員等凡そ近代戦に随伴する国家総動員の基本的事項に付いて幾多の補足を要するのである。
 これに加ふるに軍需工業動員法の目的は軍需充足の確保に関しては十分なる考慮が払はれてゐるに拘らず、これと平行随伴して一般経済の運行乃至国民生活の確保といふことに付いては、本法の諸規定を如何に広義に解釈し、その運用を可及的拡張せんとしても到底十分なることが出来ない。即ち同法の諸規定は同法の目的、性質よりして軍需充足に制約せられ、間接的にこれが確保の手段となり或は国民生活自体の維持存続に必要なる手段に至つては同法の適用に依つては之を賄ひ得ないのであつて、国家総動員に関する基本法規としての不充分性はこの点にも存するのである。
 この故に今次事変下に於ける戦時体制に於てすら軍需工業動員法のみの運用では充分ならずとして、その足らざるを補ふ意味に於て臨時資金調整法、輸出入品等に関する臨時措置に関する法律、臨時船舶管理法等の諸種の臨時非常時立法が行はれた。即ち此等の立法は概ね直接軍需の充足といふよりも間接的軍需充足の手段を規定し又は軍需充足に関聯して一般経済高越等の運行を調整する見地より制定せられたる法律と見ることが出来るのであつて、軍需工業動員法と相俟つて国家総動員の或程度の機能を果しつゝある次第である。
 次に国家総動員の実施の円滑適正を期する為には予め相当の準備を必要とし、且国民の自発的協力に期待する所も亦甚大であるが、平時より国家総動員に関する根拠法を制定し置くときは一面その準備的措置の進展を促し得ると共に、他面国民をして平時より一朝有番の際に於ける国家総動員発動の形態を熟知せしめ、従つてこれに応ずる責務の認識と物心両面に於ける準備、覚悟に資することを得るのであつて、此の事は正に国家総動員の要諦とも考へられる。
 現下の事変はその前途必ずしも予測し得ざる所であるが、たとへ如何なる事態に立至るとも、今日に於て現在の貴重なる諸経験に鑑み、単に今次事変に対処する意味許りでなく明日の国力戦に備ふるの用意として国家総動員の準備を益々整備する必要があり、先づ以てその根本的措置として国家総動員法制を完備して置くことは此の際特に必要であると思ふ。
 最後に各所の情勢に徴するに、世界大戦時に辛き体験を経た各国は著々此の種法制の整備に努力して居り、中には既に制定を了せる国もある次第であるが、然らざる国に於ても大戦時に於ける法制の経験を将来の事態に利用し得る便が認められる。然るに我が国は国家総動員の経験を欠くのみならず、法制に於ても決して十分とは認められぬ軍需工業動員法を有するのみであり、かゝる事情に想到すれば我が国の如きは特に本法を制定する必要が痛感せられる。

    三 法案の概要

 本法案は資源局設置以来実に十年の長きに亙り大戦中及び大戦後の各国の制度施設を調査研究し、その長を採り短を去り且我が国情に即する様研究立案せられたものである。而してその趣旨は軍需工業動員法の不備欠陥を補ひ以て完全なる国家総動員の基本法たらしめんとするに在り、従つて軍需工業動員法の内容は完全に本法案に吸収せられてゐる。次にその内容を大略示すこととする。

       甲  戦時措置

 (イ) 労 務

 戦時には第一に軍動員が行はれることは当然であるが、その結果国内労務力の不足を来すと共に、他面需要の激増する軍需充足の為労務力を必要とすること大なるものがあるので、一方に於ては労務力の増加を図り、他方に於ては労務の統制を強化し、労務の需給を調整し労務の配置を適当ならしめる措置を必要とする。この故に法案は前者に付いては労務力の自由募集に依り目的を達し得ない場合に帝国臣民に総動員義務とも称すべき国防義務を課して必要方面の業務に従事せしめ、後者に付いては従業者の使用、雇入及び解雇に関し必要なる措置を行ひ得る外賃金その他の労働条件に関し例へば労働時間の延長を命ずる等の措置を講じ得ることとなつてゐる。又戦時に際しては国家総動員の目的達成を阻害する如き労働争議は発生しないとも考へられるが、万一の場合を考慮しその予防乃至解決に関して所要の措置を講じ争議手段の制限禁止を為し得ることとなつてゐる。

 (ロ) 物 資

 戦時の莫大なる軍需を充足する為需要は遽(にはか)に増大するも供給力がこれに伴はない物資の生ずることは必然であるが、かくの如き物資に付いてはその取得利用を最も效果的ならしめる必要がある。この為には重要物資の生産、消費、使用、移動、譲渡、輸出入等を統制し、必要ある場合には政府に於てこれを使用又は収用し得ることとなつてゐる。なほ輸出入に関しては此の見地に於ける措置のみならず、国際貸借の改善に資する為不要不急物資の輸入を制限禁止し或は輸出を命じ得べきことをも認めてゐる。

 (ハ) 施 設

 戦時重要施設の運営を政府の統制の下に置き或は進んで政府自ら之が運営に当り得るやう政府に於て重要施設及び総動員上必要なる土地家屋等を管理、使用又は収用し、更に事業の拡充を図る為設備の新設、拡張又は改良を命じ、他方物資、労力、資金等が不急不要方面の事業に吸収せられるのを防ぐ必要があるので、此の種の事業設備の新設拡張等を制限禁止し得ることとなつてゐる。

 (ニ) 事 業 統 制

 戦時に於ては各般の重要事業に付統制のある行動の必要なることは多言を要しない所であるが、これに関しては先づ以て業者の自主的統制に期待すべきものであり、此の自主的統制をして最も国家総動員に適合せしめるやう国に於て調整する為、同業者又は関係業者間の統制協定の設定、変更等に付必要なる措置を講じ得ることとなつてゐるが、更に第二段の構へとして同業者又は関係業者をして組合を結成せしめて共同輸入、共同購入、共同販売等を行はしめ、以て事業統制の徹底を図ることとなつてゐる。

 (ホ) 資 金
 
 戦時に於ける資金需給の適合を図り物資労力等の需給の調整に資する為、現行臨時資金調整法第二条及び第四条の規定の趣旨を拡張して資金需要の方面に付いては比較的多額の資金を吸収する会社の設立、増資、起債等に付制限禁止を為し、資金の供給方面に付いては銀行、信託会社その他の金融機関の資金の運用に付いて所要の措置を執り得ることとなつてゐる。

 (へ) 物 価

 戦時に於ける軍需の調達に資し、一般経済を円滑に運行せしめ国民生活の安定を確保する為、物資の価格、運送賃等に付その暴利を取締り、その過当なる騰貴を抑制する等物価統制に関し必要なる措置を執り得ることとなつてゐる。

 (ト) 新聞その他の出版物

 戦時に際しては単に軍事外交に止まらず財政経済その他に関しても国家総動員上の必要ある場合にはこれが掲載を制限禁止し、これに違反したる者に対し必要の措置を講じ以て国家総動員の遂行の完璧を期する必要がある。

           乙 平 戦 時 措 置

 国家総動員は固より戦時に際し実施せられるものであるが、事項に依つては戦時急速実施せんとするもその目的を達し難いものもあり、又戦時に於ける総動員実施の円滑適正を期する為平時より相当の準備を必要とするものもある。故に本法案に於ては此等の準備に関し次の如き規定を設けてゐる。

  (イ) 国 民 登 録

 戦時の国民徴用実施に資し併せて労務の需給調整の基礎資料を得る為、平時より国民の職業、技術等を登録、整理して置くことは極めて必要であつて、これが為国民に所要の申告を為さしめ、当該官吏をして実地に付必要なる検査を為さしめることとなつてゐる。

  (ロ) 技 能 者 の 養 成

 技能者特に熟練工の如きは戦時特に不足が予想せられ且又これが養成は急速に行ひ得ない牲質のものであるから、平時より養成に著手し有事の際の需要に応じ得るやう学校、養成所等に対し養成を命じ、又此等の者の再教育等に資する為雇傭主に対しても養成上必要なる命令を為し得ることとなつてゐる。

  (ハ) 物 資 保 有

 戦時供給力の十分ならざるを予想せられる重要物資に付いては、その貯蔵を図る為平時より一定の業者に対し保有を命じ得ることとなつてゐる。固よりかゝる物資に付いては各種の補填方策が必要であるが、尚不足する物資に付いては平時よりの保有を考慮することも亦已むを得ない所である。現在でも既に石油業法に基づき石油を、製鉄事業法に基づき製鉄原料を各業者をして保有せしめることとなつてゐるが、本法案に於ては此等現行法の趣旨を拡張したものである。

  (ニ) 計 画 の 設 定、演 練

 広汎多岐に亙る国家総動員の実施には予め綿密周到なる計画の設定を要することは勿論であつて、政府の設定する国家総動員計画に基づき細部具体的なる工場に於ける戦時増産計画等を工場主等をして設定せしめ又之が演習訓練を行はしめ、以て戦時に於ける計画遂行に支障なからしめることを期さなければならぬ。防空法に於て防空計画設定を命じ或は防空演習を行はしめることになつてゐるのも右の必要を示すものである。

 (ホ) 試 験 研 究

 国防目的達成上科学動員が戦時特に重要性を有するに鑑み、平時より工場、事業場の事業主、試験研究機関の管理者に対し此等の施設に於て必要なる試験研究を行はしめ得ることとなつてゐる。

 (へ) 事 業 助 成

 重要物資に就いては前述の如く平時より保有策を執るが、国内に於ける生産力を整備拡充して置くことはむしろ根本的の重要事であるので、此等の物資の生産又は修理の事兼者に対し一定の利益を保障し又は補助金を交付してその事業の助成を図り。必要に応じ生産、修理を為さしめ又は必要なる設備を為さしめ得ることとなつてゐる。

 (ト) 補 償

 本法の施行に依り国民に対し特別の損失を与へることは当然考へられるので、之に対しては政府に於て補償することとなつてゐる。而して補償額の公正を期する為、之を決定する場合には官民の代表者より構成せられる総動員補償委員会の議を経るのである。

四 結 語

 以上が国家総動員法案の概要であるが、元来国家総動員の実施は忠君愛国の精神に基づく国民各自の自発的協力を基調とすべきものであつて、本法立案の趣旨とする所も亦一にその協力を確保せんが為に他ならないのである。従つて本法案の諸規定もその場合に於ける必要の発動に於てのみ発動せられることは言を俟たない所である。
 惟ふに本法は洵に国防の安危に係る極めて重要なる法律であつて、本法が制定せられた暁は政府は国家総動員に関する各般の方針に付克(よ)く統一を保持し且事態の緊急に応じ迅速機宜の措置を執り得る次第であり、国民一般も有事の際に於ける国権発動の態様を知悉する結果真に挙国一致の実を収むるに資する所以であつて、併せて有事に備ふる国家総動員準備の基準として朝野協力護国の任務達成の推進力たるに至るべきを確信する攻第である。