第七一号(昭一三・二・二三)
  国家総動員法案に就いて       企 画 院
  建艦通報問題と帝国海軍軍備  海軍省海軍軍事普及部
  戦況
    敵大軍を黄河に圧す     陸軍省新聞班
    長沙に初撃を加ふ      海軍省海軍軍事普及部
  朝鮮の国境警備          朝鮮総督府
  独逸の国防軍改革とその影響    外務省情報部

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弼逸の隣防軍改革とその影響
外藩省情報部
l、爽如大具動発表せらる
昭逸政府は、二月四日深史、衆如としてヲヂオ放迭に
より、閲防軍甘脳部の改組を初め政府改造の大異動を蟄
未した.その円容に付いては、眈に新開により大牌報
潰せられてゐるが、その間多少明瞭を快く鮎もあつたか
ら、念の篤これを宴記すれば左の泡りである.
L従氷固毅の九甘として軍の最高耗帥者たるヒット
ヲー絶耽の下に仝鋼革を紙率し且閑防大臣の地位む
南したプロソベルダ允帥舶職し、ヒ紙耗自ら渡凄に
陣栴峯の三軍を歓率し且図防大臣の地位を粂任する
こととなり、又プ允帥の下に陸軍長官たりしフyッ
チ大肺も糾職しプラウヒッチ大肺これに代つた.又
ゲーyソグ舵峯大臣乗峯軍裁官はその地位のま1で
元帥に昇格した(梅軍長官レーダー大郷は留任).な
■ばく一トl
ほ新に仝固軍の就一的幕条部設浸せられカイテル大
洛その長となりハ線藍部長と侶澤す)、同時に閲防大
臣の事汁収汲を命ぜられた.
乳ノィヲート外相離職し後任には駐英大使yッベン
ーロップ氏任命せられ、なほ駐日ヂィルクセン大使、
駐伊ハッセル大使」駐塊パーペソ大使等は休職を命
ぜられた.
乱経済相シャハト氏の後任として前宜俸省次甘フy
ク氏が任命せられ、経済省は四筒年計書局を中心と
して改組せられる。
し1ヽん
も囲政最高諮問磯閲として参議浣(仮澤)設置せ
られ、前外相ノイヲート氏を議長とし、Xッベソ十
。ップ外相、ゲーyソグ婁相、ゲッベルス宜倖相、
ヘス蕉紙裁代理、ヲソマース内閣書記官長、プヲウ
ヒッチ陸軍長官、レーダー海軍長官、カイテル紙監
部長等が巷輿に任命せられた。
軋以上の諸制度改草に閑し二月二十日囲曾が召集せ
らる1旨準表せられた.
ニ、大異動層表の反響「
礪逸側より蟄表せられた所は大牌以上の通りで、詳細
な鮎に付いては明らかでないことも少からず、ニ月二十日
一l
の固曾に於けるヒ線統の演詮を倹たねば虞相は判明しな
し●●一−く●■く
いのであるが、外国新閑などでは柵摩臆測に基づきかな
り秀骨な作り話を報遭し、又囲防軍と鴬との封立といふ
先入感に支配されて一應うがつたやうなヂマも放遽さ
れて世界のジ†−ナVズムむ賑はしたのである.王焦乃
至フyyチ婿革の箆詮及び之と閲聯せるフy,チ丼羊
の世粟韓、宵防孝と親衝験との衝爽、宵防羊め舞軋、靖
内不安と帥聯せる靖境批掛等々でむる・中にはと,ト
ヲー紙統の時殺詮と云ふ爽飛なものもあれば、丈猫逸前
げl●い
皇太子の嗅周態行む今同の事件と帥聯きせて亡命と群し
たなど一見尤もらしい風詮もある。従つて新閲の論詮も
小′ヽしつ
囲内に於ける軍と鴬との確執を過大線するもの、東方政
策の積極化を袴張するものが多く、焦の軍に封する支配
碓強化を論じつ1も礪逸固内の封立不安鹿費れざるもの
と見る向きが少くない.いづれにもせよ今岡の事件が仝
せ界に−大反響を呼んだことは庚なき事賓であり、これ

は規鹿礪逸の欺洲外交惹いてはせ界外交に於一て兵しっ1
むる役割が漸く大となり、その壷丁−動が各靖に輿へる
影響も少くないことから普然のことと認められるので
ある.併しながらこれ等の報遁、風韓、冷詮に→耳して
小んしl
看取される所は、一ミyテ・ルy→液の仝く裏意佗よるも
のは別とするも、大多救自由主轟的固民はナチス政稚確
川−1〜ん
立に至る必然性を理解せずして何時か破綻を見せるであ
らうと云ふ幻想にとらはれてゐる鮎である.つまり自己
の希窒や期曹とらはれて‡態の素直な判斯が訣られて
ゐるのである.勿鎗以上の外、此の横曾に礪逸靖力の不

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安む宜侍し、窓いては防共協定によつて結ばれてゐる各
▲いんけい
同との桝挽に水を差さんとする隙れたる意術のあること
も見逃し得ない。兎も角礪逸の友邦として任ずる日本的
尺としては、や1もすればセyセーシ.ンを求めてやま
たいジ十−ナyズムに粍卒に桶らされることなく、快重
に番態の慮柏む理解するに努めねばならたい.
三、囲防軍と並叩との朋係
けんでん
今岡の事件に於て最も咤侍されたことは礪逸国内に於
ける輝と篤との封立といふ事賓であつた。少くともかゝ
る封就ありと璃から信じてゐることが鴇多の風誼む生ん
だのである.成程ナチスが政柚む樺得して問もない頃に
は戎は鮮と軍との封立を息はしめる事態が存衣した.例
へほ一九三四年六月の所調清紫事件により鴬の爽撃隊の
甘脳部が一拳に虚刑せられ或は失脚せしめられた時に
は、耗と軍との封立がその原囚の一班であると稀せられ
たn帥ち爽撃隊の首脂者達がや1もすれば所誘成上り者

的な輩に堕し、私生活に於ても乱眼に流れて周虎一般
へ′んし●く
の呼艦む賞つたのみならず、自ら媚防軍を来収つて稚カ
を利せんとせるに封し、固防軍はあくまで故治濁立性七
那棒せんとし、こ1にヒ絶統も草の要求を容れて年氷の
同志たる爽や喋首脂部む虚斬したものと見られたのであ
る。併し*事件の如きはナチス政稚成立後日佃鴻く固防
軍が今日の如き大を名す以前に、如何にして大璃防軍む
再建するかの過稗に於て竣生した事件であり、今日佗於
ては仝く事情が異つたことを忘れてはならない。ナチス
弼逸が近年或はザール地方の複師に依り、或は蒋軍備建
設、ヲイy地方の武袈恢復等に依♭飛搾的にその国際的
地位を高め図家主稚の完仝性を悌復しっ1あることは、
何と云つてもヒッ!フー紙統の強い意思力、国際状勢に
■●lてつくわだん
封する透徹せる判断、熱慮に基礎づけられた典断に負ふ
ものであることは礪逸囲民一般の知る所であり、者いて
ヒ線統に封す季全固民の信頼は想鰍以上のヽので固防軍
と雄もその例外を満すものではない.香拘防軍こそは永
年夢みた大弼逸哨軍の帯撞に依り最も強くヒ線紘に封す
る感紺と敬意む衣してゐるのである.史にナチスが叔も
カを注いでゐる青少年軟青に依り、若いジェネレーシ・
ソの者は或はヒットヲー少年常、青年節、或は労働奉仕
園等の永年に亙る訓棟に依り確固たるナチス精紳を髄得
して瀾防軍に迭り込まれてゐる事箕に鑑みれば、直接蕉
が軍を支配するが如きことはなくとも、青年牌校や兵卒
_,わ
を池じ一歩々々耗と軍との融和が進められつゝあること
も理解川氷るであらう.
姿するに今日に於ては「封立」の観念を以て軍と耗との
閥係を考へることは誤であると云ふのがや凡な併し正し
い祝察と認められる卜もとよ卜罫がその非政治的礪立性
を緋持せんとする侍戟は今日と雑も失はれてはゐない
し、又帝制時代から軍人として青つた粁軍迎の中には盲
い保守鼓轟を清算し切れずにゐる人々のあることも認め
けい▲
ねばなるまい。フyyチ牌軍の聯職の経締などにはかく
の如き事靖が存奄したであらうことも考へ得るし、徒つ
て青年狗逸を象徹する井の指導者等との聞に外交、内政
花閲し意見の相藩を木したことも想像出氷る.併しか▲
る書があつたとしても、そこから軍と井との封立を結
▲一ヽいレ
鎗するが如きは此エ事にとらはれて、より大きな事‡忙肪
▲▼さ
を蔽ふものと云はねばならない.如何に統一を誇る珊逢
とは云へ、固政の遽行に閑して何かと意見の封立を氷し、
士きつ
又なにがしかの摩擦を生ずべきことは常然であつて、か
くつ小
かる封立、摩擦は決してナチス礪逸の前進黎展を車へ
し得るものではない.ナチス政樺碓立が少くとも礪逸に
於て必然的なりし事茸を理解し、更にヒッ土フー線耗が
●●●
大濁逸国家の再生に如何に重大な寄輿を焉しっ1あるか
を轟温に許償するならば、今同の固防軍首脳部東逸の意
義も自ら明らかになるであらう。
由、リッベントロップ氏の外相叔任
y,ベyトロップ氏の名前は日礪防共協定の暑名者と
して日本囲艮にはかなり瓢しいものとなつてゐる・従つ
つと
て今更y氏の紹介も無用と息はれるが、同氏は夙にと&
耗の外交上の相談相手として私設外相とも稀せられ、そ
の外相就在は時期の向額とさへ云はれてゐたのである.
元木ヒ搬耗はナチス政稚確立後聞もなく仝朽政の分野に

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於てナチス努力を桂付けたにも拘らて外交方面に於て
は封外閲係を考慮してか急激な改組を避けて今日に至つ
てゐるのである。これは索より礪逸の外交がナチス外交
であることを妨げたものではないが、ヒ線統の外交に閑
する輿常なる怖盈さを示すものであつて、今岡瀦く横が
熱してり氏の驚場となつた碍である。従つて弼逸外交の
大造に撃オて念激な欒化む舛ずべしと見るのは誤である
が、その東方政策に付て、礪仰桝伽淑化に付いて、格又防
共の線に油へる外交政節の速行に付いて、l投と積梯性
む加ふべきことは想悌に難くない桝である.又公の外相
の外に私詫外相と稀せられたy氏が砧耗したことは、伺
となく猫逸外交を複雑化してゐたが、り氏の外柏就任は
か1る二元性を清算せるものとして粥逸外交に一段の弘
みむ加へたものと云はねばならない.北が図から見ても、
X氏が防共協定の立役者たるのみならず最も強い親日蒙
たる事驚に聯み、.今後の口褐親薯強化に期待される所が
少くないのである.今日の礪逸に於て積梯的な親日分子
は何と云づてもヒ紙統を初め蕉首脳部に之を見出すので
あるから、軍事、外交」絃済の如何なる部門たるとを間
はずナチス勢力の珠大強化は日本として欺迎すべき事‡
であると云はねばならない。
なほ螢に∵曹口すれば、前宜侍省次官フソク氏の粧済相
就任に付いても略J剛記y氏の外相就任に付いて述べた析
と同様のことが云へるものと思はれる。もとよりシャハ
ト氏によつて行はれた礪逸絃倹ュ策がナチス的なりしこ
とは云ふ遥もないが、今や純粋の鴬〓身者が経済相に据
lヽ■▲一rI
ゑられたことは、褒に四筒年計凄の指導者としてゲーy
一・つ虫rlフ
ソグ氏が任命せられたことと附…應し、絃綺的分野に於て
もナチス的也形の強化を推測せしむるに充分である.檻
沖政策の如何は外交政策にも影響あることは勿論であつ
て、従氷猫逸が市場としての支那に相常過大の重要性を
置いてゐたことが封日外交に何となく不徹底性を輿へて
ゐた事茸に離み、ヱの方面からも日濁親薯促進に何程か
の寄輿あるべきことを期待したいので息る.
五、‥結び
▲●ゝ■
今同の故革の跡を洩観して認められることはヒット
ヲー鴇紘の地位の強化であり、且軍事、外交、経済と云ふ
歯救の重畢なる三大分野に於けるナチス的色彩の強化で
ある。もとより畢なる制度の改正や人的要素の入吏への
みで埼策が攣るものではなく、囲際的乃至は固内的の客
戦的情勢が決定的であるのはいふ迄もないことで、如何
なる方面に於ても急激な攣化を期待するのは如何かと息
はれるが、兎も角ヒ級統が今同の政策を行ふ投階に達せ
l・つ▲_
りと認めた所に膚釆の動向を察知せしむるに足るものが
あるのである.更に今同の改革で痛感せらる1ことは、
相も攣らねヒ線統の態度が揖重であり、熱慮の上の断
行であつたといふ鮎である・プロソベルク元叫フザa

チ大特と云ふ軍の二大立物を吏迭したことが相首の英斯
であることは耗ないが、されはとて新陸軍長官プヲウヒy
チ大舟や・新線監部長カイテル浄軍も特忙ナナス的とは
云ひ得ないやうである.ゲーyソグ峯相を元帥として‡
質的に其の地位を強め、其の功に報いつ1も拘防大臣と
はしなかつたことや、又ナチス的特五丁として著名なるヲ
イヘナサ山滑軍を中央部宰糠に迎へ入れなかつたこと等に
・7小′
もヒ線統の苦心の跡が窺はれる。委する忙強い目的意
識の下に著々その賓を拳げながら、而も如何なる方面か
らも文句のないやうに萬仝の注意を沸つてゐることが察
せられるのである.なほ新たに設竜せられた参議綻制度
及びノイヲート前外相の譲長就任に重要な意養を認めて
い●
ゐる向きもあるが、参議院の梼成分子から見ても、唯繍
が上にも囲内各方面の連絡統一を仝くせんとする意蹄に
出たものと認むべく、過大の許債は昔らぎるものと認め
小いt
られる.外交及び経済方面に改組が如何なる意味を有す
−’_●
るかに付いては尭忙速べた温りである.
今同の事件は兎も角せ界的に相昔のセyセイシ.yを
超し、′我々友邦固民としても無閑心たり得ないことは云
ふ造もないが、而もせ界に流布せられた報道の中には管
戎すべきヂ†のせからぎることは眈に指楕した節であ
▲は●
る.夙くも英靖はこの壌曾に英伊凍近に乗り出したとヰ
へられ、右エ作は濁伊灘間を策するものと認められてゐ
る.王に又♯淀倖へられる礪喚雨舛隅係の緊密化は珊逸
の丈方政策に沖して何かと風詮を起す種となるであらう

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し、今後とも礪逸を中心とする眈洲状勢に閲する報邁に
付いては滞耗の沌意む婆するものと息はれる.今同の改
革の詳細に付いては今督く時の粒つのを待たねばなら
ず、従つて今後の見遼しに付いても今直ちに遽確な判断
を下すことは閑搬であるが、併し大悼に於て濁逸のナチ
ス的前進の力強い一歩として理解し得るものとするなら
ば凡その動向は察知し浄るし、日濁帥係の称木に付いて
も一段の希窒を輿へるものと云はねばならない.而して
舞し濁逸側が今後日本に封しょり鎌儀的忙好意的態鹿と
示し米るものとせば、我が方としても之に報いるの用意
を有する必要あることむ附首して置きたい.
第六十入妖正訣
一九貰表中「印拭収入Jの項一ニ、入四ことあろは一ニ、
入四入、同ニ。貫r其ノ他」の項中三巧五一七とあるは
五巧五二七のいづれも誤。なほ各項の計と賠計欄の金
輯と相異せろは、各項金額の千軋以下を切捨てたるに
よる●