第七〇号(昭一三・二・一六)
  憲法発布五十年祝賀式典に就て    内閣官房総務課
  農地調整法案に就いて        農 林 省
  無言の戦友軍馬を語る        陸軍省新聞班
  芝罘を占拠す            海軍省海軍軍事普及部
  独・伊の青少年運動(下)      文 部 省
  上海の租界             外務省情報部
  憲政功労者銅像建設に就て    貴族院事務局 衆議院事務局

農地調整法案に就いて  農林省

 古より「農は国の本である」と言はれて来たが、之は商工業が発達し、都市の発展を見たる今日に於ても依然として真実たることを失はない。即ち我が邦内地に就いて見るも、其の総戸数の四割二分八厘に当る約五百六十万戸が農業に依り生計を樹てゝ、国民の大部分の食糧を充し諸種の工業原料等を供給し殊に生絲、茶等の如き我が国国際貸借改善上貢献する所大なるものがあり、又我が国商工業の市場として其の存立発展の基礎を為すのみでなく、其の子弟は国防の中堅を為し、商工業其の他各方面の人的活動カの源泉を為し、又建実なる国民思想の保持上重要なる地位を占めつゝあるのであつて、農村は常に国家存立発展の基本的条件であり、其の人的及び物的資源の源泉と言ふべきである。而して此の農業及び農村の基礎を為すものは言ふまでもなく農地であつて、其の面積の広狭、所有関係、小作関係其の他農地の各般の関係如何は単に直接農家の生活、農業経営と農村の社会経済とに重要なる関係を有するのみでなく、国家の全面的発展上非常に大きな関係を有するのである。
 然るに内地の現状を観ると、農家一戸当り平均耕作面積は一町歩余に過ぎない。之は兼業農家をも併せて平均したものであるが、農業専業の農家であつても其の耕作面積は之と大差はないものであつて、耕作面積が概して狭少である。而も其の所有関係に於ては自己の耕作する農地を大体自ら所有して居る所謂自作農家は僅かに三割余で、爾余の七割弱に当る農家は多少の差はあれ他人の農地を借りて耕作するもの即ち小作するものであつて、農地総面積の五割三分余が自作地、爾余の四割七分弱が小作地と云芯ふ割合を示し、殆ど農地を所有しない所謂純小作農家が全農家の二割七分に上る状況である。かやうに農家の耕作面積が概して狭少で、又農地の所有関係に於ても小作地が多く、此の小作地の種々の関係にも往々にして実情に即しないものがあつて、農家の生活安定、農事の改良発達上遺憾なるものがあるのみでなく、之に思想上の関係其の他の事由も加はつて各地に小作紛争の惹起を見たるに鑑み、政府に於ては小作調停法の制定、運用、自作農創設維持の施設等に依り之が対策を諦じ来り、一時多少の緩和を見たが、長年に亙る不況と連年の災害等の影響を受けて近年再び増加し殊に小作料滞納、地主の自作開始、土地処分等に基因する土地返還に関する争議が著しく増加して来て、其の解決が一層困難となつて来たことは農家、農村にとつては素よりのこと、邦家の為に寔に遺憾とする所である。
 従つて此の農地の関係の調整、改善を図ることは寔に緊要とする所である。殊に現下の時局竝に時局後の情勢の推移を考へると、此の国家の存立発展の基本を為す所の農村に於ける耕作農家の生活安定、向上、農業生産力の維持増進を図り以て農村経済の更生振興、農村平和の保持を期することは最も急務とする所であつて、之が為には各方面に渉つて諸般の農村対策を講ずべきは勿論であるが、直接農地に閑する諸般の関係を調整、改善するの要緊切なるものがある。
 此の農地の関係の調整、改善に就いては、農村の人々の自覚協調に依つて之を実現すべきものが尠くないし、又政府に於ても自作農の創設維持の施設を拡充して自作農家と自作地の増加を図ると共に未墾地の開発、農地の改良、農業水利の改善其の他各般の施設を講ずるの要があるので、政府に於ては夫々事情の許す限り此等の施設を講じつゝある次第である。殊に自作農の創設維持の施設に関しては昭和十二年に其の資金を従来の倍額以上に増額し、市町村其の他の団体が自作農の創設の為に一時農地を所有管理する制度を拓(ひら)き又未墾地の開発に依る自作農の創設の補助助成の制度を拓く等其の施設の拡充を為し、又農村負債整理の施設をも拡充して農家の負債の整理に依り農地の維持にも資する等鋭意対策を講じつゝあるが、尚之と相俟つて法制の整備を要するものも亦尠くないのである。是れ即ち農地調整法案を立案し今議会に提出したる所以である。
 農地調整法案は右に述べた所の理由と趣旨とを以て立案されたものであつて、此の点は同法案第一条に明記せられて居る所であるが、由来農村の事情は各地各様で、殊に農地の使用収益の関係に於て左様であつて、之に付いて詳細な点に迄亙つて劃一的に、概括的な規定を為すことは極めて困難なる事情があるのに鑑み、同法案に於ては実践的な規定は差当り其の根本的であり且普遍的共通的な事項に関するもののみに限定し、爾余の詳細なる事項は之が規定を避けて市町村と道府県に農地委員会を設け、又調停の制度を整備して此等の機能の発揮と関係者の互譲協調に依つて右の趣旨に基き各地方の実情と個々の場合の事情に即応して、具体的に適切なる処置を為し農地関係の調整、改善を図るものと致したのである。
 今農地調整法秦に規定し得る主要事項に付いて其の要旨を述ぶれば次の如くである。
 第一に、兵役其の他特別の事由に因り所有地又は小作地を自ら耕作し又は管理することの出来ない農家の為、其の申出に依つて、市町村其の他適当なる団体が農地の管理を引受けて安全確実に之が保護、利用を為し又は之を買取り自作農の創設其の他農地関係の調整の趣旨に副ふ様処理するの制度を拓いたこと
 第二に、道府県、市町村其の他適当なる団体が、農村の経済更生を図る為、自作農を創設し、或は自ら土地を所有して之を貸付くる場合に於て、之に要する土地を取得し又は使用せんとするときは、行政官庁の認可を受け土地の所有者又は土地に関し権利を有する者に対して、土地の譲渡又は依用収益の権利の設定等の協議を求め得るものとし、其の協議が調
(とゝの)はない場合に於ては裁判所に之が調停を申立て得ることとしたこと、尚右の目的を以て未墾地の開発を為さんとする場合に限り、協議が調はなかつたときには、土地収用法を適用して収用する途を拓いたこと
 又地方に依つては農村の経済更生上土地の兼併、或は土地処分の結果に依る小作争議の惹起等の事態を生ぜしめざる様特に考慮を致す必要もあらうから、行政官庁は斯くの如き必要のある場合に於ては農地を処分せんとする者をして予め市町村の農地委員会に其の旨を通知せしむることとし、農地委員会をして自作農の創設其の他適当なる処置を講ぜしむる機会を与へ得るものとしたこと
 第三に、政府の助成等に依つて創設又は維持せられ自作地に付いて、其の所有者が行政官庁の認可を受けずに此の自作地を譲渡し又は之に物権を設定しても、法律上其の效力を生ぜざるものとし、此の自作地に関しては其の旨の登記を為さしめて第三者に対抗し得る様其の保全に付遺憾なきを期したこと
 第四に、小作関係に付て小作農家の生業の確保及生活の安定の為に
(一)農地の賃貸借契約は登記が無くとも第三者に対し効力を有するものとし、売買等に因り農地の所有権が移転し或は農地に対し抵当権其の他の物権が設定せられても、賃貸借契約には影響ないものとしたこと
(二)農地の賃借人に故なく小作料を滞納する等信義に反したる行為がある場合、或は地主が自ら自作せねばならない場合又は宅地其の他別の用途に供するの必要がある場合であつて且左様にすることが尤もである等正当の事由に因り小作を継続することの出来ない事情のある場合の外は、地主の一方的意思に依つて濫りに賃貸借契約の解約を為し又は契約期間満了に際して契約の更新を拒んだりすることは出来ないものとする規定を設けたこと
(三)尚農地の賃貸借の契約の申入、更新の拒絶等の場合には六月乃至一年前に相手方に申入れるものとすると共に之を相手方に申入れる前に予め市町村農地委員会に之を通知せしめ、之をして適当に斡旋せしめる等成るべく円滑に推移する様考慮したこと
 次に小作争議が迅速に、簡易に、円満裡に而も実情に即して合理的に解決せられることは常時に於ても必要とする所であるが、殊に今日の如き時局に於ては最も必要とせられる所
であるが故に、
(一)小作争議に関し公益上必要あると認むときは小作官が小作調停法に依る調停の申立を為し得るものとし、裁列所も亦小作関係の訴訟事件を調停に付し得るものとしたこと
(二)調停中は常事者をして調停の成立に副ふ様致さしむる為に、裁判所が調停の為必要があると認むるときは、小作官の意見を聴いて調停前の措置として、或は検見の為に立毛を現状に維持せしめ、或は小作料の保管を為さしめ、或は又調停中の農地の耕作に付き適当なる命令を為す等必要なる命令を為し得るものとし調停の成立に資するものとしたこと
(三)尚調停委員会に於て努力をしても調停が成立しない場合に、裁列所が其の事件に付て調停に代ふべき裁判を為すことが相当であると認むるときは、小作官と調停委員の意見を聴き、或は必要に応じ農地委貝曾の意見を鵡き、公平に種々の事情を考慮科酌
して、最も実情に即したる争議の解決を為す上に必要な裁判を為すことを得るものとしたこと
 第五は、小作関係以外の農地の利用関係に於ても、例へば相隣地の関係等に関して紛争を生ずる場合にも亦円満裡に、迅速に、簡易に、実情に即したる合理的解決を為す必要があるので、小作関係と同様に農地委員会をして之を処理せしむると共に裁判所に於ても小作争議と同様の方法を以て調停せしむる様調停の制度を拓いたこと
 第六は、市町村と道府県に農地委員会を置くこととし、右に述べたる種々の事項の外に、自作農の創設維持、未墾地の開発、農地の交換分合、小作関係の調整、其の他農地に関する各般の事項に関して自治的実情に即したる処理を為さしめることとしたこと