ドイツ・イタリーの青少年運動 (下) 文部省

三 バリッラ活動を中心とする伊太利青少年団運動

 伊太利に於ける青少年団体は、一九二六年四月法律
を以て制定せられ、其の翌年より実施せられてゐるバ
リッラ国家事業に依つて代表せられる。これは独逸の
ヒットラー・ユーゲンドと同じく全国的に組織経営せら
れてゐる青少年訓育の機関であるが、前者が青少年団
運動としての色彩を多分に有するに対して、これは国
家の青少年に対する軍事訓練施設としての色彩を多分
に持つてゐる。
 バリッラの名称は一七四六年墺国軍のゼノア攻撃に
際して、少年ながらも愛国の至誠に燃え、身を犠牲に
して祖國を救ふ端をなした一少年の名である。この少
年の行為を訴へ、青少年訓育の目標を茲に求めて、伊
太利の少年団体にこの名を冠したのである。国家を救
ひ、国家を発展せしめるものは、青少年を措いて外に
はない。伊太利の将来を担ひ、全体主義国家の成員と
して、古代ローマの輝かしき文化と権力を現代より将
来にかけて再現せしめんが為には、先づ国民を陶冶し、
訓練してゆかなければならない。凡ゆる階級、職業の
別なく、祖國伊太利の為に団結し、祖國の発展の為に
戦はねばならぬ。それにはファシスト伊太利の後継者
を養成しなければならね。。バリッラに依る少年団活動
と戦闘的ファシスト青年団とは、このファッショ伊太利
の第二の新世紀を形成すべき唯一の組織と謂ひ得るで
あらう。
 バリッラは八歳より十四歳に至る少年に依つて組織
せられる少年団であつて、同じく八歳より十四歳迄の
少女に依つて組織せられる童女隊(ピッコレ・イタリア
ネ)がこれに対応してゐる。
 バリッラを終へたる少年は、引続き上層組織即ち前
衛隊(アバンガルディスティ)に編入せられ、十八歳に
至るまでこの年齢期に相応しき訓練を受ける。
 童女隊を終へた少女も亦、前衛隊に相当する上層組
織たる伊太利少女隊(ジョーバ・イタリアーナ)に編入さ
れ、此処で訓練の仕上げを受けることとなつてゐるの
である。伊太利の男女青少年は、文部省の統一的指導
の下に極めて強力な国民的訓練を受け、政治教育、宗
教教育、徳育、知育、体育等の各般に亙つて次代の国
民たるの責務に堪へ得べき素地の培養に努めてゐるの
である。
 バリッラ事業の組織は、中央に本部を置き、この下
に各県に支部が分散して居る。而してこの支部は夫々
其の管下の町村に地方単位を有し、各々其の長を置い
て少年の訓育指導に当らしめてゐるのである。これ等
の単位団体には団所有の会館が整備せられ、更にこの
会館をして少年の指導竝に活動に最も有效ならしめる
のに必要なる設備、例へば学校、映画室、体操場、講
堂、図書室等が附設せられてあり、此処で伊太利少年
は国民的信念と愛国心とを養はれると共に軍隊的訓
育、情操陶冶にいそしむこととなつてゐるのである。
 バリッラ活動は団体的訓練がその活動の中核を為し
てゐる。即ち少年達は此処に於てファシスト伊太利の
建設の為、その最高能力と意志とを代表するムッソ
リーニにとつて最もよき国民であり、忠実なる後継者
たらんことを目指して、ファシスト党員たるべき素地
を育成せしめられるのである。
 伊太利に生を享けた男子は、満六歳に達すると「狼
の子」と名付けられた隊に編入せられる。この隊はこ
百人から成つて居る。バリッラの最小単位は分隊(ス
クワドラ)と呼ばれる。三つの分隊は一小隊(マニポロ)
を編成し、三個小隊が百人隊(チエントウリア)を形成
し、三個百人隊が一大隊(コオルテ)、更に三個大隊が
一聯隊(レジオーネ)を組織するのである。
 八歳より十二歳に至る少年はバyッラ行軍隊、十二歳
より十四歳迄の少年は「銃士」と呼ばれる。この階級を
終へたものは前衛隊に進級するのであり、十四歳より
十六蔵迄の少年は同じく銃士、十六歳より十八歳迄の
青年は擲弾兵と名付けられてゐる。かくて十八歳に達
した伊太利青年は、二十一歳に至るまでファシスト青
年団に編入せられ、ファシスト党員としての仕上げが
行はれるのである。
 女子は八歳より十四歳までの伊太利童女隊と、十四
歳より十八歳までの伊太利少女隊とで組織されてゐる
が、女子ファシストの徴募に依つてファシスト女子青
年団に進み得ることは、男子の場合と同様である。女
子の組織に於ては、特に将来伊太利の母性、軍人の母
たるにふさはしき婦徳の涵養に努めてゐることは独逸
の女子訓練と併せ考へて意味深いものがある。
 バリッラの課程を終へた団員は、ファシスト青年団
に於て極めて厳格なる訓練と団体的生活を経過して、
バリッラに於ける訓練を完成し、ファシスト党予備軍
となり、国の固めに当るのであり、此処に於て国家的
団体生活を終へて国民として国家建設の第一線に活躍
することとなつて、実際活動の第一歩が踏出されるこ
ととなる。
 バリッラ竝にファシスト青年団の指導者は、バリッラ
事業本部の経営する羅馬体育学校出身者を以て之に当
てることとなつて居り、同校卒業者は町村のバリッラ
団体に配属され、体育の他の指導に当る。女子に於
ては、指導者はオルビエートのファシスト女子アカデ
ミアの卒業生であり、裁縫、裁断、刺繍、衛生、救急、
家政、律動体操等の指導に当らしめてゐるのである。
 ファシスト青年団は完全に軍隊的組織であつて、党
幹事長を最高司令とし、副司令及び参謀が之に直属
し、県支部長は県聯合団長の職に任じ、副団長二名、
運動部長一名を指揮し、全般的指導に当らしめてゐる
のである。又その使命よりして国防義勇軍の将校が配
属せられ、兵式体操、教練、野外演習、行軍の訓練を
行ひ、又海兵部、航空部、機械化部等を設けて、夫々
専門的訓練を実施してゐる有様であり、各町村に二十
五名の団員より成る分隊を組織せしめ、一名を分隊
長、一名を副長に任命し、特に戦死者の遺子を選んで
団旗の旗手と定め、三分隊又は五分隊を以て一小隊と
し、純然たる軍事教育を実施してゐる事は注目に価す
る。
 かくの如き青少年団に対する軍隊的訓練の傍ら、団
員に対する美的情操を涵養する為国内に於ける美術館
を巡覧し、羅馬藝術に接せしめると共に、声楽部、音
学部等を設けて団員の趣味志操の向上を図り、更に宗
教教育に重点を置いて、羅馬法王庁と協議の結典、その
選定せる牧師を各団体に派遣し、一週一時間乃至数時
間の宗教教育を施し、青少年の訓育に協力せしめてゐ
るのである。
 伊太利男女青少年は、この青少年団体に於て徹底的
に訓練せられ、ファシスト伊太利の国民たるに足るべ
き秩序と規律と義務を自覚せる全体国家体制下にふさ
はしき国民性の涵養の為の真虔なる愛国的努力が払は
れてゐるのである。これは国家的大事業であり、こ
れよりしても如何に伊太利がこのバリッラ事業、ファ
シスト青年団活動に絶大なる関心を有し、重要性を置
いてゐるかが窺はれるであらう。
 ムッソリーニは青少年に向つて次の如く呼びかけて
ゐる。
 「若しも伊太利が強ければ、諸君はそれをもつと強
くせねばならない。若しも伊太利が弱ければ、諸君
はその勝利の行進を阻む凡ての障害を打破らねばな
らぬ。」
 この主義に基づいて、現在伊太利男女青少年団体に
網羅せられてゐる青少年は約五百万を超え、これが指
導に当る教官は十数万人を数へる。
 バリッラ団体は夫々其の町村を単位として活動を行
つてゐるのであるが、全国的な行事の一、二を挙げる
と、ドウチエ大天幕野営と地中海巡航とがある。毎年
夏期に於て伊太利全土から約五万のバリッラが羅馬の
近郊に集つて、二週間の天幕生活訓練を行ひ、彼等の
英雄ムッソリーニの風貌に接し、団員たるの自覚を固
め、彼の後継者たらんことを誓つて夫々の団体に帰つ
て行くのである。又祖國伊太利の真の姿、その風土、
産業、文化、国防を十分に脳裡に植付けると共に、海
洋生活訓練を実施する意味に於て、毎年夏期一万噸級
の汽船に団員を乗船せしめて地中海沿岸を巡航するを
常としてゐる。
 又海浜地方には海洋部を設けて海兵訓練を実施し、
山岳地方に於てはスキー隊の編成を行ひ、其の他防空
高射砲隊、飛行隊、応急救護隊、信号兵隊を設ける等、
特殊技能の陶冶に努めてゐる。
 バリッラ事業の社会福祉的施設として注意すべき
は、団員に対する共済保護施設と貧困学童救済施設と
である。団員にして一年五リラ(邦貸約五十銭)を納
めた者は証明書を交付せられ、コロニー・キャンプ場、
遊歩場等の施設に依り、或は事
業所属の医師の往診に依つてそ
の保健衛生を十分留意せられ
る。そして不遇なる団員は共済
保護施設に依り、その生活上の
補助を受け得る。
 証明書の所持者は補助金授与
に関する規約に定められた事態
の発生する毎に、所定の規約に
従つて相互補助金庫「アルナル
ド・ムッソリーニ」の定款に依つ
て保証された準備金を支給せら
れる。
 団員が不幸に遭遇した場合は、事故発生の日より、
その性質に従つて十一日乃至七十日間、一日二リラ宛
の補助を受け得る。又被保険者が死亡した場合には、
其の家庭は五千リラを受取り、全然廃疾の場合は三万
リラ、局部的永久不具の場合はその程度に応じた保険
金が交付せられるのである。
 又団員たる貧窮学童は、学校保護会を通じて無料で
教科書、被服、学用品等が給与されることとなつてゐ
る。

四 青少年運動を強化せよ

 今や独伊両国は、組織せられた男女青少年を擁し
て、新国家の建設と将来の発展の為に夫々明確な旗幟
を掲げて、現状打開に向つて苦難の、然し希望に充ちた
途を進みつゝある。青少年団運動の組織化とその強化
とは国家発展の基礎であり、この堅実なる青少年層の
存在なくしては国家の躍進は望み得ない。現下国際情
勢が日々に錯綜し、その推移の予断を許さざるの秋、
初夏の候を期して我が国青少年団代表と独逸国ヒット
ラー・ユーゲンド代表との間に相互派遣に依る交驩が
実現せられんとしてゐるのは、我が国の青少年団運動
の発展上極めて重要な意味を持つてゐる。今回の日独
青少年団交驩を契機として、我が国の青少年団運動が
その独自性を益々発揮し、国家発展の線に沿つてその組
織活動を旺盛ならしめると共に、常に新たなるものを
摂取し、時代と共に生命を新たにし、前進又前進、国
家躍進の永久に力強き根幹としての実績を愈々発揚せ
んことを冀念して止まない。