ドイツ・イタリーの青少年運動  文部省

一 独、伊の最大関心を払ふ青少年教育

 日独伊防共協定成立し、コミンテルンの策動に対抗して茲
に所謂東京−羅馬−伯林枢軸が確立せられたのは、事変下の
我が国にとつて洵に力強さを感ぜしめるものである。独逸、伊
太利両国が国内に於ける共産党勢力と抗争して、凡ゆる反
国家的勢力を駆逐し、新たなる国家建設に邁
進し、鞏固なる国家統制を行ひ、国民社会主
義、全体主義の旗幟の下に政治、外交、軍
事、経済、教育、その他文化各般に亙り国策
を遂行しつゝある事は、真に目覚しきものが
ある。
 特に之等の諸国に於て共通に、最大関心を
払はれつゝあるところのものは、将来の国家
を担ふべき青少年の指導であり、青少年の団体的組織活動で
あると云ふも過言ではあるまい。
 何故かと云ふと、これ等の二大友邦は何れも国内に於け
る党派的抗争を克服して古き国家の殻を脱し、全然新たな国
家形態を樹立したのであるから、この新らしき世界観に立脚
した国家を守り立て発展せしめるには、現在の国民に対して
再教育を施すと同時に、更に将来国家を形成すべき青少年に
対して十分なる教育訓練を施すことが最も必要な事となつて
来たからである。この青少年に対する大なる期待と、信頼す
るに足る青少年の存在とが相俟つて、始めて国家の揺ぎなき
将来が保証せられ、国家の生命ある発展が期待し得られるの
である。
 独伊両国は、大戦以来一方は敗戦国として、他方は勝利国
として、その立場を異にしたが、相共に同じ運命を背負ひ、
政治的にも経済的にも幾多の苦難に悩んで来たのであ
る。而もこれらの苦難に打克ち、凡ゆる障害を克服して統
一国家を建設し、対外的に国威を発揚し得たのは、国民の偉
大なる精神力と其の伝統のカに外ならないのである。
 国民社会主義は独逸民族の発展をその使命としてゐる。そ
れは独逸民族の伝統の上に立ち、その宿命を担ひ、その運命
を開拓し、只管創造と発展へ進まんとする努力と決意、犠性的
精神と民族意識とに燃えてゐる。個人は独立してはその存在
の意義を持たない。独逸国民はその過去に於ける独逸民族の
歴史と文化とをその血管の中に受けつぎ、欲すると欲せざる
の別なく文化的遺産を受け、その伝統の中に生長し来つて
ゐる。この民族精神は民族の血管の中に不断に流れ、過去よ
り現在へ、更に現在より将来へと向つて永劫に流れ行く。精
神的にはそれは民族の性格を形成し、その思考を決定し、民
族性を形作る。更に民族は生理学的に見ても民族の特質を
受け継ぎ、その属性を所有してゐる。この民族の共同体を組織
し以て在来の民主主義的共同体に代らしめる、換言すると民
族学的に有機的な結合を持つ国家、血と土とに密接な連関を
持ち本質的な体験共同体なる国家を建設することがナチス独
逸の究極の目標である。風俗、歴史、文化、郷土、言語を
同じうする民族が民族発展の本能に依つて団結し、不断の創
造活動に依つて民族の使命を遂行する、その政治的、社会的、
経済的、文化的、教育的目的遂行の為の国家権力実現がナチ
ス独逸に課せられた使命である。これが為には貧富の別な
く、男女老若を問はず独逸国民一人々々がこの大なる民族国
家の一員であることを自覚し、それと密接なる連関を有し、
民族国家の発展の為に奉仕しなければならない。
 知識の氾濫より情意の豊穣へ、唯物論的世界観より民族性
に立脚した現実理想主義的世界観へ、利益社会的国家より民
族史とその宿命とに根ざした民族共同体としての全体的・有
機的国家組織へ、自由主義、個人主義的世界文化より純粋
独逸的なる内面性、人間性に立脚した独逸主義的文化の創造
へとナチス独逸の指導方針は教示するのである。そしてこれ
がナチス独逸の国民に要求するものであり、学校教育たると
社会教育たるとを問はず特に将来の国民たる青少年に対する
教育方針である。
 世界大戦は独逸の政局に一大変革を齎らした。自由主義、
国際主義は益々強調せられる一方、国家主義的傾向が大戦を
契機として各地に擡頭した民族自決運動と共に独逸にもそ
の根強い力を拡げつゝあつた。国民社会主義を以て旗幟と
し、ミュンヘンに於けるアードルフ・ヒットラーは共産党其他
の自由主義勢力との血腥き闘争裡に漸次其の勢力を増大し、
彼の率ゐる国粋労働社会党は遂に隠然たる一大勢力となつ
た。一九三三年国民社会主義独逸労働党は国民革命に成功
し、ヒットラーの独裁が実現せらるゝや、政治、経済、産業、
文化、外交各般に亙つてその根本的立直しと建設が着手せ
られた。国民は独逸民族全体の福祉、独逸の共同的宿命に自
己を献げ、独逸国の一員として、階級を超越し党派的対立を
捨てゝ、何人と雖も新たな国民感情、民族感情へと終結せら
れねばならない。総ては独逸民族と云ふ共同生活体に還元せ
られた。
 新国家は一九三三年に成立を見た。併し建設には尚幾度の
障害が横はつてゐる。将来の独逸の動向は一に懸つて独逸青
年がナチスの政網を支持し、祖國の再建に向つて相共に協力
するや否にある。かくて青年教育は現独逸の最も力を傾注す
べき重大事業の一となつた。今や、真に国家の使命を確認
し、之が遂行の為に喜んで全力を献ぐる青少年の養成が行は
れなければならない秋が来たのである。ヒットラー・ユーゲ
ンドはこの重大な使命を負荷つてゐる。
 ファッショとは古代羅馬の警官が権威と規律と力との象徴
として携へた数本の棒と斧とを束ねたものゝ名称である。
 ファシスト伊太利の理想は大羅馬帝国の再現にあり、この
大理想に向つて国民的結束を固め、民族の伝統に即して、一
八六二年の伊太利国家統一時代を将来に於て建設しようとす
るにある。
 伊太利本国は墺地利に依つて大陸に向つての勢力拡張を阻
まれ、地中海を経て阿弗利加に於ては英米両国との摩擦なし
にその発展力を伸張せしめる事が出来ない。欧州大戦に際
して伊太利は国力の発展と国家的威信の上から聯合軍に参加
し、墺地利に宣戦を布告した。そして多大の犠牲を払ひ、各
地に転戦して輝かしき戦果を拡大し、聯合軍の勝利に寄与す
るところ多大であつた。然るにヴエルサイユ平和会議は伊太
利の努力と犠牲とに報ゆるところ極めて僅少であつた。その
結果は国論分裂して政党相対峙し、凱旋兵は迫害せられ、国
家主義者出征軍人は時の政府を攻撃し、この間社会主義者
暗躍して全国に怠業相つぎ、各地に暴動の続発する等国内
は名状すべからざる混乱に陥つたが、時の政府はこれに対し
て極めて無力であつて如何とも為し得ない状態であつた。こ
の国内情勢に対応して、各地に愛国的団体が蹶起したのであ
る。一九二二年十月之等の愛国団体、いはゆる黒シヤツ隊の
総動員が行はれ、伊太利国王はムッソリーニを羅馬に喚び、
この時局を収拾せしめられたのである。これが有名な羅馬進
軍である。
 ファシスト政府を樹立したムッソリーニはファシスト党の
組織に階級性を与へ、国内不安の一掃に著手し、大羅馬帝国
の再建へと踏み出したのである。それと共に彼に共鳴する青
年、学生をば組織化し、国内不安に備へて新国家建設に奉仕
せしめることとした。このファシスト党員の組織が義勇兵
(ミリチア)であり、青年層組織が青少年団体である。
 従来伊太利には国民、特に青年層の想像力を培養し、愛国
的情熱を喚起するやうな団体組織は存在してゐなかつた。ムッ
ソリーニは青少年層の力が如何に大であり、国家建設に必
要欠くべからざるものであるかを自己の体験を通して痛切
に自覚した。ファシスト党員に依つて基礎付けられた輝かし
きファシスト伊太利の将来はその後継者を補充し、組織化し
なければ、言ひかへれば青年の腕と心と魂とを新たな征服の
為に準備して置かなければ確保出来ない事を知つたからであ
る。
 ファシズムは国内に於ける階級闘争を清算し、結束して国際
的な階級闘争にその目標を置く愛国的運動である。羅馬帝国
の伝統に依り、拡張的、支配的、開拓的の途を進まんとす
る。「持たざる国」である伊太利は自己の生命を永続せしめる
為に、恰も一切の生けるもの、健全な個人又は国民が持つ拡
大の要求、欲望、意志の実現への努力を払つてゐるのであ
る。このファシズムの目的貫徹のために次代の支配階級たる
にふさはしき生活態度、即ち勇気、大胆、冒険心、平和の嫌
忌、果敢、そして伊太利人として生を享けた誇の自覚、規
律、権威の尊重こそ、伊太利青少年団訓練の目的であり、役
割である。

ニ 躍進するヒットラー・ユーゲンド

 独逸の青少年達は、ヒットラーの政権確立以前及び其の以
後数年に於ては多数の団体に分散して組織せられてゐた。各
種政党は夫々その所属の青少年団体を有し、更に宗教的団体、
体育団体等があり各々相対峙して勢力争ひを行ひ、真に雑然
たる姿を呈して居つた。当時に於てはヒットラー・ユーゲンド
も亦これら青少年団体中の一団体であつて、ヒットラーを指
導者とする国民社会主義的政治団体に所属する青少年団体と
して極めて旺盛な活動を行ひ、特に共産党青年団とは数多く
の果敢なる闘争を継続し、犠牲者二十数名の英雄的団員を出
したほどであつた。ヒットラー・ユーゲンドは青少年突撃隊
とも云ふべきものであり、国民社会主義的精神に貫かれたる
団結力の強い同志の精神に燃えた闘争団体であつたのであ
る。
 一九三三年一月ヒットラーの政権獲得に依りて国民革命の
成功するや、第一期のヒットラー・ユーゲンドの使命は終り
を告げ、それと共に、ヒットラー・ユーゲンドは単にヒットラー
を繞る青少年団体としてではなく、ナチス独逸国家の青少年
団体としての第一歩を踏み出すこととなつたのである。
 ヒットラー・ユーゲンドの団員は政府の奨励と相俟つて急
激に増加した。それと共に、他の政治的青少年団体、宗教的
団体等は漸次これに合流し、又或は解散を余儀なくせしめ
られた。かくてヒットラー・ユーゲンドは、独逸国に於ける唯
一の青少年訓練の団体として発展し、茲に従来の一党一派の
政治的青少年団体から国家意識に根ざした全国的青少年団体
へと導かれたのである。
 ヒットラー・ユーゲンドは独逸国青少年指導統監(ライヒス・
ユーゲンド・フーラー)として齢三十を越えたばかりのバ
ルヅウル・フォン・シーラハを頭に戴き、独逸男女青少年を団
員とする青少年組織となつた。更に独逸政府は独逸民族の将
来は一にヒットラー・ユーゲンドの活躍と組織の強化に懸る
ことを確信し、ナチス独逸国民としての義務遂行に必要欠く
べからざる徳性の培養、信念の確立、実力の啓培、体位の向
上等はこの組織を通じて実現し得られる事を認め、一九三六
年十二月一日を以て遂にヒットラー・ユーゲンド法を発布し
て、所定の年齢期間に於ては独逸男女青少年は凡てヒット
ラー・ユーゲンドに参加すべき事を規定したのである。茲に於
てヒットラー・ユーゲンドは名実共に独逸国青少年団体とし
て認められることとなり、今や団員は六百萬より更に飛躍的
躍進を遂げ、目覚ましましき活動を開始するに至つたのである。
 ヒットラー・ユーゲンドとは男女青少年団の総称であつ
て、男子に於てはこれを二つに分けることが出来る。
 即ちヒヒットラー・ユーゲンドとユング・フォルク(小国民)と
である。この狭い意味に於けるヒットラー・ユーゲンドは年
齢十四歳より十八歳に至る青年を団員とし、所謂ヒット
ラー・ユーゲンドの核心をなすものである。これをヒットラー
青年団と呼ぷならば、ユング・フォルクは少年団とも呼ばるベ
きものであつて、十歳より十四歳に至る少年を団員とする。
このユンゴ・フォルクに於て少年にふさはしき訓練を施さ
れ、ナチス治下の小国民としての国家観念を培はれ、団体的
訓練を与へられて後、その上層組織たるヒットラー・ユーゲンド
に参加する。この青少年団が体系的であり組織的であるこ
とは伊太利に於けると同様であり、青少年団体各部が夫々独
立せる訓練の内容と組織を有しながら、而も一貫せる系統の
下に年齢相応の活動分野を分担してゐる所に、青少年団体運
動としての力強き根柢が存するのである。
 女子に於ては青年団に相当するものとしてブンド・ドイッ
チェル・メーデル(独逸女子青年団)がある。これは十四歳か
ら二十一歳迄の女子を団員とする。其の年限が男子よりも三
年延長せられてゐることは、将来の独逸国民の母たる女子の
訓練に大なる関心が払はれて居る証左として注目に値ひす
る。この女子青年団の下に男子のユング・フォルクに対応す
るユング・メーデル(少女団)があり、十歳より十四歳迄の少
女を団員とする。
 ヒットラー・ユーゲンドは、以上の如き組織に於て夫々最少
十五名の単位から始まり、漸次大きな組織に編入せられ、最
後に各々三十七万五千人を網羅し得る五つの最高組織に終結
して更に中央の独逸国青少年指導庁(ライヒス・ユーゲンド
フュールング)によつて統一せられる。現在総団員数七百万
を有する。かくヒットラー・ユーゲンドは将来の国家担当者
たるべき男女青少年に対して、学校教育と相提携しながら徹
底的なる国民社会主義的訓練を施すことに邁進してゐるので
ある。
 ヒットラー・ユーゲンドに依るこの青少年層の精神的統一
こそはナチス独逸国の発展の基礎をなすものである。このヒッ
トラー・ユーゲンドに於て団体訓練を受けたこれ等の青年は、
更に満十八歳より二十五歳迄の内に於て、半箇年労働奉仕に
参加しなければならぬ。こゝに於てヒットラー・ユーゲンド
によつて培はれたる精神は祖國独逸の開発の為実践に移さ
れる。かくして独逸国民としての陶冶は完結する。
 ヒットラー・ユーゲンドが特に重点を置いてゐる活動分野
は、大別すれば国民訓練、心身の鍛錬、将来の国民たるの実
力の啓培にある。そして之が徹底の為に一九三四年六月、土曜
日を「国の青少年日」と制定し(現在は廃止)、専らヒットラー・
ユーゲンドの活動に使用される事になつた。
 国の青少年日と併行して、ヒットラー・ユーゲンドが行ふ
定期的な活動は毎水曜日の夜行はれるハイム・アーベント
(塾の夕)である。前者がヒットラー・ユーゲンドの野外活動で
あるとすれば、後者は、ヒットラー・ユーゲンド団員が相共に
協議し、その活動を促進するための自発的、親和的会合であ
ると云ふ事が出来よう。この夕の為には団員が集合する集会
所、特に団自体の特別な建物を持つ事が重大な意義を有す
るので、ヒットラー・ユーゲンド指導庁に於ては青年集会所
の設置普及に多大の努力を払つてゐる。この夕を意義付け、価
値あらしめる為、当夜ヒットラー・ユーゲンド放送が行はれ、
この夕の活動内容を豊富なものにする。そしてヒットラー・
ユーゲンドの全国的な団結と祖國愛の精紳とを益々鞏固なも
のとするのである。
 ヒットラー・ユーゲンドの活動は、その天幕生活、青年宿
泊所を利用する国内旅行、農村派遣等に依つて豊(ゆたか)にされる。
天幕野営は団員の共同生活訓練の道場であり、集会所と相俟
つて、大自然の下に、土と血の繋りを青少年の心情にまざま
ざと喚起せしめ、農村に於ける生活を深く青少年の胸底に
刻印し、更に青少年の健康増進に多大の效果を収め得るので
ある。
 次に体育である。体育はヒットラー・ユーゲンドの重大任
務として取り上げられる。将来の発展途上に於て多大の障害
と犠牲とが予想せらる祖國独逸を担ひ、国民としての最大能
力を発揮せしめんが為には、如何なる苦難にも堪へ、障害を
克服し得る強健な身体を先決条件とするのである。故にヒッ
トラー・ユーゲンドに於ては、一九三四年体育スポーツ青年
団の合併以後、団員に対しては集団スポーツを奨励し、或は
体位標準を規定し、更には国防スポーツ、例へばグライダー、
自動車操縦、射撃等の各部を設け、国防力の充実に努めてゐる
のである。
 次は現実生活との結び付きである。ヒットラー・ユーゲンド
の団員は、都市に、農村に、その職場を持つてゐる。団員の約
八〇%が職業生活を営んでゐる事よりしても、その活動が彼
等の日常生活と関連して行はれてゐろ事が頷かれよう。即ち
「独逸労働戦線」との協力の下に職業相談、就職斡旋、職業補
充教育、農村奉仕等が名に真剣せられつゝある。特に此の
方面に於ける全国的事業として、全国職業競技大会は特筆せ
らるべきであらう。一九三四年の全国職業競技大会は二千箇
所に於て開催せられ、凡ゆる職業に従事する約百万の男女青
年がこれに参加した由であり、年々其の参加者の増加を見て
ゐる。其の他団員の余暇指導、福祉保護は国の活動が活溌に
なるに伴つて漸く目覚ましく、「青年宿泊所」の活用と相俟つ
て、青少年の健全なる発育生長に対して今や絶大なる関心と
努力とが払はれ、更に青少年救護法、保護法、国民保健法の
実施を始めとして、其の他青少年の為の立法が具体的に研究
せられてゐるのである。
 最後に女子青年団、少女団に関して一言附加へておき度
い。独逸女子青年団の指導は、彼女等をして将来優秀なる独
逸の家庭の主婦、教養ある母たらしむる事にその重点が置か
れてゐるのである。独逸女子として、与へられた部署を守り、
婦徳を涵養すると共に、将来の独逸国民の母として十分なる
国家的認識と、それに伴ふべき教養と素質の向上とが団体生
活を営む少女達の生活目標となる。家庭へ帰れ!母に目覚め
よ!とのナチス独逸のスロ−ガンは、直ちに独逸女子青年団
の活動内容を規定するのである。
 かくて将来の国民、更にその後に来るべき者の民族的使命
に目覚め、祖國の血と土とに俟つて結ばれた若人の団結は、
祖國独逸の躍進の為、ヒットラー・ユーゲンドの旗の下に前
進しつゝある。アドルフ・ヒットラーは、この青年層に絶大
の希望と信頼とを以て次の如く叫びかけてゐる。
「我が独逸青少年諸君!諸君は未来の独逸である。諸君
は我等が曾て将来の独逸に期待した事を知らねばならな
い。諸君はまだ若くて人生の相背馳する諸影響を体験して
ゐない。諸君は将来決して離反する事がない様にがつちり
と団結してゐなければならない。諸君が若し放棄しようと
さへしなければ、諸君の有するこの友情と団結とを、何人
と雖も諸君から奪ひ取ることは出来ないだらう。かくてこ
そ諸君は独逸青少年として我等の大なる希望となるであら
う。親愛なる青少年諸君!諸君は独逸の生きた保証人であ
り、将来の生きた独逸である。空虚な概念、蒼ざめた命題
でなく、諸君は我等の血の血、肉の肉、精神の中の精神であ
り、我が国民の永続する生命である。」