第六六号(昭一三・一・一九)
 人民戦線運動の本体        内務省警保局
 大電力放送            逓信省電務局
 戦況
   皇威山東を掩ふ       陸軍省新聞班
   軍艦旗青島に翻る      海軍省海軍軍事普及部
 北京新政府の首脳部        外務省情報部
 全歩兵の二年在営制と幹部候補生制度の改正案に就て 陸軍省新聞班

人民戦線運動の本体     内務省警保局

    一 人民戦線運動とはどんなものか

 昭和十年夏モスコーで開かれたコミンテルン(国際共産党)第七回世界大会では、従来極力排撃して来た第二インターナショナル系の社会民主々義的団体や、民主々義的、自由主義的な団体及び分子と提携してファシズム反対の闘争を展開することを決議した。これは共産主義運動の戦術上に於ける劃期的な大転換であつて、この新戦術樹立については、コミンテルンの新しい指導者である元ブルガリア共産党員ゲオルギー・ディミトミフによつて提唱されたものだと言はれてゐる。ディミトロフはナチスの政権獲得によつてドイツ共産党が全く無力な敗北を喫したことの重大原因を社会民主々義団体に対する共産党の従来の対立抗争の方針にありとし、社会民主々義及び其の他の団体や分子と協力提携してファシズム反対のための広汎な人民戦線を結成し、之を通じて共産主義勢力の拡大を図るべきことを力説したのであつたが、これは恰も国内の敢合主義建設の第一期を柊へ、同際的には8、
鵜等に対して積極的に抗争の虚勢を整へるべく昭和九年九月図際瀬盟正式加入を決定したツゲィエト

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榊邦の対外政党と合致したので、こゝに共売主義速動の新戦術としてア丁ayズム反対のための人民
戦線津動が展開されるほ至り叱ので為るQ
 かくて;ミンクルソ第七周世界大倉では貸その支部たる各国共産蕪に命じて直接且積極的に
               甘んと’
共演主義革命の不壊矯激なる嘉動を行はしめてむ陀のを改め、大要次のやうな方針を決克し
池Q




反ヌ;yズム及び反帝執主義戦争閲容真の主要活動と為すこと
敢合民主々義其の他大衆抑伐との統→戦線を樹立すること(人民戦線畢勤W
劃一的珂際主義を排し各同の醜靖ほ印し叱る戦略職鋸を採ること
合法」堵南を利用すること
 これは前述の如く水産主義濯動の大帝換で為る。即ち戦略の主要目誓共産垂義革命の方向への直
接的且独自的な闘争の代りに反帝国主義戦争及び反フ;yズム闘率の二鮎に置きハこの闘争に於て
は、特に日本、現題及びポーランドをその目頑固となしてゐる)、而もその為には社務極力排撃して本
た融合民主々義其の他の大衆園饉との開にフアブyズム反封の名の統一戦線を形成することとし、更
にこのやうな戦略戦術の目標に向りで為さるべき具饅的闘零方法即ち具確約戦術の襲更をも決定した
のである。それは社家の所謂セクト主義を捨て、政見を異にする種々雑多の異分子ともフ;y†反対
の為には鍵事をなし、之を同一戦線に合流ぜしめて協同行動ほ進出すべきこと、その為には各国の特
殊事情に特に留意し右翼鞠機内部にも那加すべきこと、合法場面を利用ずること、萱た嘉動等の
                   か▲ノたl′
如き運動の資際に■首つても社務のやうに高踏的、抽象的、観念的なスX−ガンを鴇げて公式主義的、
紬判定親的に行ふことをやめ、具鳩的、現賓的な而して又弾力性、郎触性ある運動方法を採用アるこ
と等を規定し陀ものである。
 このやうなヲ、、ソテルソの新方針に基く人民戦線運動は、共産主義渾動からの輯身又は退却ではな
く、資際は却って運動が積極化し、巧妙化し陀ものに他ならない。反ファッショそのものが共産主義
革命の一手段で参り、この反フ丁ツy,運動はやがて共窪主義革命の方向に大衆を誘導すべく意固さ
れたものに他在らない。即ち人民戦線運動は共産主義運動の新しい桝新形態以外の何物でもないので
為る。このことはコミソテルソの第七同世界大倉に於て述べられた次の如き言葉によつても知ること
が出水る。「勤券者の日常要求を中心とアる最も初歩的な杭苛運動より放めて、屈伸性ある戦術を以
          くhうはん
て、共産主義者は一層庚汎在る大衆、特に意識ぜずしてフ丁ツシズふに追随する昇働者を運動に誘引
せざるべからデ。」帥ち排撃せんとするフナツyズふは骨南の闘争手段としての目標にしか過ぎない
          い と
もので参つて、その意廟するところはフ;シ,打倒郎融合主義への移行、終局目的たる共産融合への
‥前進である。
 共産主義渾動の新しい形態としての人民戦線運動が社務の渾動方法よりも一屠積極的で参り響戎ゼ
らるべきものである理由は、之によつて一般大衆が無意敢裡に動員利用され、又その運動が人民戦線
     じよせい
浜の活動を助勢する椿果を柏木し、または之に合流し居るかの如き外観を呈することであり、かくて
ミの開に乗じて大衆がその方に狸得され人民戦線の勢力が折大されるに至る虞あることである。モの

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闘争目標として掴ぐるものは中和梯護の朗率乃至フ丁ツyヲ反対の闘争で参つて、資本主義打倒、
            }Iん●ハ√
デーレタプア独裁等の尖鋭的階級意識を帰動ずるやぅな一見非合法のものは全部之を引つ込め托の
で、表面高唱するスローガンのみに俵つてはその非合法性は察知し縛られなくなつた。それのみなら
デ、むしろ日常生起ずる稚々なる具憎的政治、経済、敢曾の諸問題について大衆の要求せんとずると
                                          い と
ころを探り参げ、之をスローガンに棉げ提唱するので、大衆はその基面に潜じ兵意間を察知すべくも
                              おモh
夜く、共産真の戦略在ることを認識ゼずして之に賛同し、誘串ゼられる虞が多分ほあるのである。眈往
ほ於ては、あまりにも温故帯庶な主義主張を為したため、却って一般大衆より注音響成され、大衆は
   いl一・9
兼より遊離し托ものであるが、新戦術に於ては一般大衆の要望を利用ゼんとしてゐるので、努め<大
衆の意を汲み之に迎合ゼんとし、急激不穏なる主張はなさデ、一挙にして革命を起さうとするやうを
       り・し
爛動は一切之を慎み、先づフ丁タy†への移行を防止し、之を粉砕して漸次左翼に引きずりこ会うと
                                            rき−】
してわる。従って運動は原則として合法奈義に於<行ふこととし、合法運動を擬装し利用することに
努めてゐる。この合法運動の利用に主力を注ぐことに墳更したことこそ大衆にとつて最も恐るぺき戦
鋸で参ウて、大衆は合法運動に気を許し警戒心の薄らいでゐる虚に轟ぜられ、不知不識の間に利用さ
れ狸得される虞があるのである。
 空た戦術は眈徒の如くヲ1、ソテルソよりのテーゼを基本として各閑共産真がその下部組埼に指令し
て荘動を為すやうな一律的機械約の方法を執らず、その閑々の特殊事情を参酌し、具憺的諸情勢に印
旛アる凛な方法をとることになつたので、一見その非合法性が判らなくなつた。萱た具確約闘争項目
も各地方々々の資備に頗じて通常な間近を取り上げるやうになつたので、従凍の鹿に薫の想定し指令
する運動をその空ゝ無條件に、土地の事情如何に拘らず劃一的に強行ゼしめられたのに此校し、この
戦術は極めて教具的である。従ってきた煮運動であることの発見も容易でなくなつたのである。
         かいしん
 それ故こゝに最も戒心を要することは、左翼的意固に基かない単なるフ丁ツショ反封の意幣も、人
        か・つもく
民戦線派的勢力の構築ほ利用され、人民戦線派にとつ<は好個の温床であるといふことである。民主
              ほ■)ビ。
主義、自由主義等の思想を抱持する者及び之等の影響下にある者は今日和音多数であるが、之等の人
達の不用意に唱へるフ;y。反射は、人民戦線汲の主張と客観的には一致するので、共産主義者は之
等の叫びを極力利用して自己の運動展開の具に供するのである。なほ日常闘零のスローガ/の如き
                                   しんし
も、大衆駒要求を取り上げ、之を反フ丁ツy,開寧に結合し七大衆の具象なる要求を利用ゼんとして
ゐることは前述の通りであるが、試みに人民戦線的スローガンを見ると、人種擁護、軍部官僚親善反
対、大衆祝枕反封、物債腐食反封、大衆生活の安定等、合法且大衆向きのもののみで参つて、大衆は
飴理性意響奴をしないと巧みに誘引される危険性があるので為る。

   〓 人民戦績運動の国際的費展
            亡,山−
 この耗な人民戦線運動の粛芽は、昭和十年夏コミソテルソ第七岡世界大倉に於て正式に決定される
前、既に昭和九年七月頃フランスに於て凝生し、翌年には急進敢曾煮よ少共産兼に至るフ丁ツシ・反
封の藷叫憤が協同濃淡してフ丁ツシズム及び戦季反封の人民戦線を穎成し、その翌年六月にはブルム

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人民戦霞国が組横されたので為る。
                                     ふし上′ヽ
 次にこの人民戦線運動はフランスに隣接するスペインに於ても大在る勢カを扶植した。昭和大卒に
                              か’こ
共和革命を蕗げた後の紛糾ゼるスペインの政胱は共産主義勢力進展の好個の温床となつて居陀が、人
民戦線運動がフランスに於<盛んとなると共にスペインに於てもそれは進展し、昭和十一年二月には
遼に人民戦線内掲が成立するに至つた。然るに人民戦線政府反対派は同年七月人民戦線政府に反抗し
て起ち、こゝにスペインはソ聯及びフランス雨固によつ<支按される人民戦線政府軍とドイツ及びイ
                                                     モ′ヽ
ク,lの両国によつて支援される国民軍とに対立し、深刻なる内乱となり、今に至るもその終娘を見
ない状態となつた。而し<この内乱はヲーーッバ諸国の思想的杭寧にまで磯展し、固内同胞の血で血
を洗ふ相撃の傍観はこの上ない悲惨事として世界人相に強い衝動を輿へた。
 更に人民戦線湛動が進展したのは支那で為る。人民戦線運動の戦術によつて後凍の支型亦北は急激
に輝大された。コミ/ブルソは第七回世界大曾に於て中岡の督南の主要なる敵を白本なりと決定し、
日本に対抗する為には中国共産萬及び共産軍を援助すべき1とを決話し<ゐるが、其の後中岡共産鳶
及び共箆軍に対して更に日本帝国主義反射の民族革命闘争のスローガンの下に運動を行ふべく指令し
たのである。中岡共産煮はこのコミソテルソの政治方針に基き「抗日救国」をスローガンとなし、昭和
†年八月一日附を以て抗日人民戦線運動展開の具慨的方法に閑し所謂入・一定言と呼ばれる「抗日救
国の鳥同舶に骨ぐるの書」の布告を仝中団々民に射して凝した。
                    しhウ
 南本抗日の風潮と内戦反封の要求は漸次概烈を加へ、昭和十一年十二月の西安本件を奥磯として
南京政府は壌に岡共合作に應ずるの飴儀なきに至つた。偶と支那事襲凝生するや、ミ、ソテルソは好
堵到れ打となし、中肉共産萬を指導して中国々艮大衆に長期抗戦、抗日戦線の撰大を煽動し、また南
京政府、中観要人等を強要して杭日鼻面勒遊行の已むなきに至らしめ、遂に国典合作を完成するに至
り陀のである。
 中国共産鴬が何故に自ら進んで国民煮の統制下に赴いたかに裁ては、その鼻音潮を察アれば具に
恐るべきものがあるのである。中国共産煮は眈に西安事件に於て薄介石の共産煮討伐の意間を逆に容
共政策に麺更することを飴儀なくさゼ、また普晶時開戦を提唱し孟晋人民戦線の結成を促進し、遊
に今次事襲磯生の因を為さしめ、更に戦桐を今日の躾態きで鋳大せしめたのである。この巧妙なる戦
略を想ふとき、かゝる手を自ら打つて出て肉典の合流に功を収め、かく<徐々に巧妙なる手段によりそ
                           ・−んたりん
の指導樺を掌撞し、逮には息ふ壷に導き入れんとする魂脇であることが明かに襲知し縛られるので参
る。而豊の差にはコミンクgが警引い乏を磨り、我が国に封し男合掌竺致の嘉抵
                          けんせい
洗を為さしめ、以て我が国カを消耗ゼしめて勢ソ関係を牽制ゼんと企園しっゝあることは想像するに
確くないのである。
 かくの如くヲ、・ソタルソの支那赤他を観じての我が珂に対する簾謀の脅或を見れば、人民戦線峯動
の斡際的鹿カ、療に我が挿に及ぽすその申開特攻♯の脅或は甚大であると首はねばなら覆い。
  三 我が国に放ける人民戦線蓬勅と人民戦瑞浪の埠歩

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                           ・”んきTフ
 前途の如く人民戦線淀勤は最近に於ける北東主義運動の扮装形態である。典産主義運動が我が国托
     しっえ・)    ばつ こ
於<いかに執拗に枚描く放思したかを回顧アれば、この新戦術によるヲ、Iソテルソの策泳が我が肉に
                  トいいと・}
於ても影埠を輿へ、人民戦線運動が榛頗アるに室つたことは決して不忠萌ではない。
 日本炎産篤は数次の大檜畢に依ウて致命的打鞋を受け、加ふるに満洲串埠以後の日本主義約革新息
想が勃興ずると典に、日本兆蒸発の指導着任野畢、鍋川月親を初めとして多数兆壷主義者の特向を出
               しゆんだ・フ
すに及び、その後若干の地下的丑動も参つたが、大橋に於て我が囲に於ける北産主義渾動は最早や神
超不可能なるかの戚があつ托ので為る。然るに前述の如きヲ・、ソテルソ第七同世界大倉の新方針が川
るに及び、我が閑の北東末弟逃勅は神び頼朝凝展の勢を示すに室つた。殊に抹日を要するのは従来兆
耗蕉の正統派に此し穏和なる態度を採り橡拳を免れて凍たお冤分子がコミソテル/の反フγツシー人民
戦線の新方針にカを得て、我が団長近に於ける政治、経済の動向を絶て「フ丁ツyズムの棲頭」、「支配
階級の戦拳政策」の海兵なりとし、反フ;シ。、戦鉾反対の闘零を清浄に展開するに至つたことで
“のる。
                                 きl】】r−■一
 之等の分子は、我が固が現在重大なる樽換の時期に遭遇し、岡内に現収維持を固執するものと現状
                   一ビ・つこ・■ヽ
を打破ぜんとするものとの封立相剋が未だ克服ゼられず、個人主義の行詰りに骨面して思想的混乱を
凍し、赤化思想の影響が魂存し、自由主義思想も根強く存在してゐる耽態に桑じて、人民戦線の方針
                                                  と・†
による塞慢爛動を行つたのである。彼等は串礎に際し恰も国民が協力一致すべき秋なるにも狗らず、
却っ<事襲に反封の行動を採り、戦時及び戦後の困難なる時局に廉じ国民生活の安定等の美名ほ隠れ
て人民戦線の方針による嘉動を展開するに室つたのである。
                   き一<つ
 かくて取締曹局は故意之等左翼分子の査察内偵を進めた朗、日本無産汽。日本労働組合費園宗曾
及び之が理飴的指導に普ウて凍た所謂券褒状分子に封し閑雅襲草の意を有することの確経を得、こゝ
に之等の分子に射し昭和士蚕十二月十五月一啓瞼畢を行ひ、同二士官日本無産蕉及び日本労働組
合仝固辞彗−に対して鵜敢禁止を命ずるに至つたので為る。この事件に於て枚挙されたものその数約
            −サーT ’
四官名、一番槍畢としては未曾有のものでろつた。
 この事件は故瞼畢者が何れも表面合法的な運動方法を採り所謂合法場面にあるもので参つたこと、
更に政教畢者中に新聞鶴誌等論塩の一角に勢力を張つてゐた者が多数あつたこと等の特色を持つ為
に、敢合一般に著大なる衝動を輿へた。
 今岡参事された人民戦線瀬の運動概況及び瞼畢理由は次の洩りである。
 柵富]浜とは我が国最初の共産鳶組織者たる山川均、荒加藤三、高津正逆等を中心として確認「多食」
 ヽ▲
に嬢つてゐた一族で為つ乍、この汲には後に鈴木堕二郎、加藤勘十、大森義太郎、黒田覇男、向坂逸郎其
他の指導分子が加はつたのであるが、元衆これ等は日本典恵拳円の一夜で孝つたのである。歩兵振の
息想は所謂第一次日本共産曹時その養分子たる前記山川、京畑等が社務の極左的地下潜行的の運
動に射し、今後は合法無責政賞の運動を起し之との典同職線によつて大衆を斬新狸得し、その基礎を
泉汎なる大衆に置かねばなら瓜との主張をなし叱1とに瑞を凝すると稗ゼられてゐるが、その後若手
‡見である藤本一矢、佐野文夫、瀬川正−等の一浜がこの運動方舟を日和見主義で為ると反対し、飽

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く空で職業革命家の舞兎を以て地下藩行的の共産警結成し之を凍大強化してその目的を逮すべしと
主張するに室つ托ので、こゝに日本共産薫は山川振、藤本派の両派に分れて互に論季し、巷にヲ、、ソテ
                                      モつち・)
〃ソの裁断を仰いだのである。フミソテルソは之に射し両者とも樋瑞なりとして折衷秦を以て裁断し
たのであるが、雨汲の革ひは依触とし<租績し、編本流は自ら自派を共産真の正統派と呼び、一方山
川派は之を労農状と呼称するに室つた。然るに南本渡の多くは青年分子托して活動的で参りた馬、彦
           は ちく
に日本共産篤の賓横を把捉し山川派を煮より除名し、その食め爾来我が閑の井売主義運動には正統派
と労政演の両派相対立して杭申したのであるが、右の経過故にその後の運動ほ徹するも両者の相違は
現に運動の方法論に参り、決して主義思想の相違ではないのである。
 かくて山川、荒柑等の豊一派は日本典産業と疎隔複機関紙駒難詰「山野農」を発行し、或は其他の雑
誌を洩じモ引掃き正統派との論零に努めたのであるが、それは執れも戦略に関する同視で孝つて、主
弟思想の相違に関する論率ではなかつた。又社務この派の無産政黛泣に界働腺憎が合法飼慣の形態を
       いづ
珠つて水たのは執れも戦柵上の意国に遮くもので参つて、その異意はマルクス、レーニン主義の基礎
に立脚して居たものであることは、之等閑礪の発行配付ゼる文奮によっても推測されるのである。か
くの如く労農派は日本典轟煮より出生ゼる一派でみつて、その運動目的は8本弗東煮と同じく共産主
務革A叩を目的とするものであるが、只仙労農派は日本典産篤と疎隔以来はコミソテルソとの有機的連絡
h関係が明瞭で夜′\又その運動方法が表面合法的で参り、正統派たる日本共産煮に此し如何にも穏健
に見えたので、従水は主としてゴミソテルソの日本支部で参り不穏矯激なる隠串をその信條とする日
本共産常に対して橡畢取締が集中されたのである。
 然るに昭和十年夏コミソテルソが七年振りで第七周世界大倉を開催して前述の如く運動方針を大轄
換した結果、爾来我が周の左翼分子に対してアメタカ共産篤日本人部磯行の邦字印刷物を多数迭附し、
新方針に基いて最近に於ける我が岡の政治、経淋の動向を絶て「ファッyズムの撞頭」、「支配階級の戦争
政策しの結果で為ると蛮地宜停し、之に封しては自由民樺の擁護、平和政策の樹立、岡民生活の安定
等のヌVIガンを渦げて闘争すべきこと、及び之が聞牢の為には融合大衆賞を中心として晩成政煮
内の渡歩約分子とも箆携し虜汎なる反ファ,y。人民戦線を樹立して聞零すべきこと等を指令し、恰も
                                         とみ
穿農演のそれに近似ゼる方針を探るに至ウた為、爾凍之に勢を得てこの多農汲の活動は頓に活敬とな
つて禿たのである。
 帥ち常時前述の藤島一派の分子を中心としてカンパニヤ組織として結成されてゐた穿農無産協蛮
骨は、昭和十一年五月頃から敢曾大衆煮に合同して反フ;y・統一戦線の樹立を計らうとアる意園の
                    がへん
下に策動を開始し陀が、鎖骨大衆煮が之に肯ぜざる状況を看取するや、昭和十一年七月三日壌にコ
ミンクルソと同棲な「反フ丁タy。人民戦線の推湛カとなる」目的を明らか托して新に多食無産協幕曾を
組横し(昭和士蚕四月に至り之を日本無産蕉と改栴)、此の人民戦線なるスローガンの魅力と魅力を
以て敢曾大衆篤との合同を賓現すべく務々劃発をなし同年九月三日正式托その合同を鹿萌したのであ
るが、穀倉大衆蕉は之を拒絶した希有務敢曾大衆集幹部のフ丁,y・北を攻幹し、我が国に於て最も忠
‡に反フ;y。夙牢を為すものは薫産協散今夜ることを強調し以てヲ1yタルソの新方針箕故に

66-19

点景なる態度を示し托のである。又本年七月支郷事凝勃発するや、ヲミンクルソはアメクカ典産鴬発
行の印刷物を粗じて我が靖の左翼分子に対して、平和外交の柑立、出征兵士の邁家族救援、出征兵士
の解雇反対及び賃銀仝槻支給の運動、出征農民家族の小作料減免、出征兵士のある豪族の借金支沸延
期及び枕金免除、執事の魚の物債騰貴等の間壇を取り上げて運動すぺきことを指示して衆化ので、日
本無産麓は之と同席のスVIガン項目を掲げ<運動をなすに至つたのである。
 而し<最近に至り日本無産煮は全く労農流の主義主張ほ基き国雄組驚丁の曹有ずることの確澄が挙
が軋又その中心運動日礫である反フ;シ。人民戦線の材立はヲミソ■′ルソの新方針同凍重く共産主
義蕃へ大衆を動月する手段方法で遜ることが明瞭となつたQ
 なほ資際活動に於ても支那事擬態生以来1の我が堵重大時局ほ際し帝固の方針を支持し之に協力せ
んとゼざるのみならず、却って前述の如くコミソテルソの指示アる方針と同様の方法を以て反戦思想
 る ふ
の流布宜倖に努め、更に事毅終局前後に於て政治、経済、敢曾の各問題が煮避することふ象想し乍−
                                こ lしんhん
その際之等の開題を地へて積極的に人民戦線運動を展開アべく虎祀耽々として待機し<ゐる状況で参
る。
 又日本穿働組合重岡評蕪曾は前述日本無産煮を支持してゐるのみならデ、モの幹部が急く日本無重
                                   けんγワ
井の幹部で甚弊而もこの組合は従衣我が固の革命的労働組合の倖統を堅持アるやの態度を示し、叉そ
                    でく
の箕際活働に於ても全く日本無尭業のそれに従属してわるものであることは明らかである。
頚に於て取締昔局は之等の分子に射し<国領を聾丁し栽有財産制度を香祝する治安維持法違反掛掛
本件として断乎換畢取締を加へると共ほ、一万日本無産兼滋ほ日本昇働組合全国絆萬合の各頼敢托封
しては結敢=禁止を命じて今後の活動を禁止するに室つたのである。

    四 人民戦肇動に封する封兼

 以上の如き人民戦線運動による兆鹿真義運動に封杭する為には、息ふに二つの方法が考へられる。一つ
は開場明敏の徹底、固増税念の宣掲であり、今一つは防共協定の張叱鳩充、閑内防共の貸戌強行である。
               †いじやく
 人民戦線運動は国民の思想的脆弛性に突入して凍る。されば之が封発としては先プ固民の思想を健
全驚固ならしむることが唯一無二の根本的措置である。国民思想が確乎たる信念の下に何等の動格な
         かうや〜
く統一され健全に維持昂揚されてゐる限り、如何なる藩思想も襲撃の飴地は布しないのみならず、却
    け
つて泣に跳ね返され<しまふのである。
我が国は明治維新以凍急激に西洋思想を輸入したが、之は一方に於で我が閑文化の進歩向上ほ熟舵
                          ゐしゆく
すると典に、他方に於<は我が国本家の固民梢紳資でも萎縮ゼしめ、腐蝕ゼしめんとする悪影響をも
                                         亡ゆんくh
輿へたので為る。西欧の思想を輸入ずるに急にして、我が粥憤に副はざるものまでをも醇仕なし得
                                               トh−】
ずして之を壌取した。その烏果、個人的唯物的世界観や人生軌に基く風潮が浴々として世を郎卸し、
             ▼ゝ▲J▼ヽく
我が国本木の思想即ち拳固以凍の光輝ある日本掃紳の顕現に及ぽしたる一撃盈響は甚だしいものが参
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る。狂いてその見えざる血蟄寺、教書は思想、文北その他の各方面に亙り、今日に至つて大をなしてゐ
一る9

66-2。

 この虚を衝いて、赤化の魔手が自由主義、民主々義を利用し之と協力提携せんとするに及んで、そ
の危険性は愈々拡大され、普遍化されるに至るのである。従つて国内防共の完璧を期する為には、従
来の如く単に共産主義を目標として之に対するのみでなく、広く国内思想一般に対し、苟も國體の
本義に相容れざるものは勿論、國體に対する国民の確信に疑惑を抱かしめるやうなもの乃至開場明教
の賓践的動何に反…琴Tノるやうなもの等を庚範囲に亙り国内防共の封泉となすの必要に漁られてゐるの
である。かくて人民戦線晩の如き醜激思想を根本的に掃滅することは、積極的な駒鴇明徴の徹底によ
ってのみ之を達成アることが出水るのであるっ
                              へ●つ青          けん
 防炎梢糾は、本務日本楕紳の一部に内包されるもので、その凝現のこ零相で参り、皇逆算捜施の一崩
げん
現でなければなら瓜。その意味に於て防共の要は同憤の本義より凝した積極的、自主的なものでなけ
            たン きけ† ふてい     ぽくわつ          て}こく
ればなら瓜のである。それは曹に詭激、不達な思想を精滞撲汝するのみならデ、進んで孝固の大橋紳
  ■つくわ・}いち・’
たる八紘一宇の道義的世界観に立脚ゼる普遍蛮骨なる思想姦極的に凝足さゼて行くことである。
而してその環には、一方に於て八紘一字の定義的世界観を畢理的に積極的に展開して行くと共に、他
方新日本逮設の貸現の為に固確明徹、日本梓弼の具憮的見地から政治、経済、文化各般に亙り竪丁たる
革新的是正改革を強行しなければならβ。
 今や我が閑は重大なる碍換の時期に遭遇し躍進途上に在るが、前述の如く閣内に於ける新香思想の
    一H】l一・■′ヽ
対立、相剋は未だに克服されて居らデ、現躾維持を固執するものと現欺を打破して新文他の捷設を
         トHいぢ
企独するものとの封峠が依然とし<解けな小でゐる。かゝる対立は言ふ聖でもなく思想的脆男性を
      かんげ▲X
招来し、その間隙に人民戦線の如き思想が潜入して凍るのであるから、出家るだけ速かに排除ぜねば
なら瓜。
                       てい−りい
 又封外的には日独伊の防共協定に従って各締盟囲が相互に一屠緊密な捻携を保ち、更に之を張碓溝
充して第三国の加盟勧誘其の他防共に関する提携に努ひることによつてヲ・、ソテルソの赤他政策及び
之と協同して東滋に於ける簡閲の地位姦ゼんとする園、更にこれらの固に依存して抗日の渡歩を
トhと
辿りつゝある国民寮政府に対抗し、奥の東洋平和を招来し奥の世界平和の維持に寄輿することが出
水るのである。日独伊防共協定の意義は日本のかゝる国際的重大時局突破の名の一大周策に他なら
瓜。印ち防共方発は躍進途上にある稗換期日本の最大開発の一でなければなら瓜のである。
 以上の如き対内的及び封外的防共方策を完仝に遂行することによって始めてわれ′\は人民戦線の
       ’l一「一hつ
如き詭軟風想を掃汝し、現下我が国の重大時局を突破することが出水るものと信ずるのである。