第五九号(昭一二・一二・一)
満州国に於ける治外法権の撤廃及満鉄付属地行政権の移譲 外務省情報部
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満洲国に於ける治外法権の撤廃及満鉄附属地行政権の移譲 外務省情報部
去る十一月五日満洲国新京に於て「満洲国ニ於ケル治外法権ノ撤廃及南満洲鉄道附属地行政権ノ移譲ニ関スル条約」の調印を見たことは、未だ記憶に新らしい処であるが、本条約は愈々十二月一日より実施せらるゝので、茲に本条約締結に至るまでの経緯及其の内容を概説する。
一 満洲国に於ける治外法権及満鉄附属地行政権とは何か
抑々満洲国に於て我が帝国が享有(きよういう)して居つた治外法権とは、従来帝国が支那に対して持つて居つたものを昭和七年九月十五日の日満議定書に於て満洲国に依りて確認せられたものである。従つて其の内容は支那が諸国と締結した各種の条約及慣行により外国人及其の財産に就き定められた特典、免除及制限を綜合したものと言ふ事が出来るのであつて、此の意味に於ける治外法権は民事、刑事に関し原告たる場合の外は支那の裁判権に服することなく各々自国の裁判権に服する権利、即ち所謂狭義の領事裁判権は勿論の事、行政的方面にも及び、支那の警察権の干渉を受けず又納税の義務をも有しないと云ふ極めて広汎な内容を持つたものである。此の治外法権の結果、満洲国に在住する日本人は同国の裁判権竝に行政権に服しないで、日本国の裁判権、行政権に服したのであつて、在満帝国領事官が此等の権限を行使する事となつて居たのである。
満鉄附属地の行政権と云ふのは、満鉄々遭用地及附属市街用地十八万里余の領域に於ける絶対且排他的行政権を言ふので、一八九六年露支銀行と支那政府との間に締結せられた「東支鉄道建設及経営ニ関スル条約」第六条に根拠を有し、此の権利は他の諸権利と共に明治三十八年の日露媾和条約に依り、支那国の承諾を条件として、日本に譲渡せられ、日本は同年日支間の「満洲ニ関スル条約」第一条に於て支那の承諾を得た。此の日本の行政権は前述治外法権と同様日満議定書に依り、満洲国の確認を得たのであつて昭和九年十二月以来在満洲国日本大使館に設置ゼられた関東局を輔佐機関として満洲国駐箚特命全権大使が之を行使して居たのである。
二 治外法権及附属地行政権の撤廃又は移譲の理由は何か
右に概説した治外法権竝に満鉄附属地行政権は、満洲国成立前迄は我が帝国竝に在満帝国臣民の安住発展のため必要なる条件であつた。即ち治外法権は、旧満洲政権の秕政下に在る我が国民保護の為に、又満鉄附属地行政権は我が邦人の対満発展の根拠として重大なる役割を果して来たことは今更云ふ迄も無い事である。然るに満洲国が、建国以来著々として諸般の制度を整備し、其の面目を一新し、在留邦人の保護に遺憾なきことを示し、我国との関係が密接不可分となつた新事態の現在に於ては、此等の諸権利は、最早我国に取つて存続の意義が薄弱となり、却て国中国を為す如き異常な形態は統一国家としての満洲国の健全な発達に支障を生じ、又日満両国民の融和を阻害する結果を来たし、我国の満洲国に対する根本方針に副はざるに至つたので、是に於て我国より進んで、治外法権の撤廃及附属地行政権の移譲を提議したわけである。
三 我が政府の撤廃及移譲の方針決定
然し乍ら治外法権の撤廃及附属地行政権の移譲の実行に就ては、在満邦人に不安を与へざる為、我が政府としては満洲国に於ける制度及施設の整備に対応し、就中、在満帝国臣民の生活に急激な変動を与へざること、満洲国の全領域に於ける帝国臣民の安住に遺憾なからしむることに就て、特に考慮の上、昭和十年八月の閣議に於て法権の撤廃、行政権の移譲を漸進的に行ふ政府の方針を確立したのである。
四 昭和十一年六月十日調印の第一次条約
我が政府は右根本方針に基き撤廃及移譲の具体的方策を研究し、一方満洲国側に於ても鋭意諸制度の改善に努めたる結果、其の第一歩の措置として、昨年六月十日 「満洲ニ於ケル日本国臣民ノ居任及満洲国ノ課税等ニ関すスル日本国満洲国間条約」を締結するに至つた。此の条約に於て、先づ我国は満洲国の課税及産業等に関する法令を日本国臣民に適用することを承認すると共に、他方満洲国が日本国臣民の安住発展を確保増進する為、満洲国に於て自由に居住往来し、農業、商工業其の他の公私各種の業務及職務に従事し、且土地に関する権利其の他一切の権利利益を享有し得る事を認めたのである。
本条約は漸進主義に則り、治外法権の一部撤廃、附属地行政権の調整及一部移譲とも言ふべき極めて複雑な状態を処理するものである為、其の実施に当つては幾多の複雑且困難な問題に逢着したるに拘らず、実施の成績は極めて良好であつた。特に附属地内外を通じ内地人四十万、朝鮮人約百万の日本人が最も関心を有したのは課税の問題であつたが、条約に於て満洲国の課税法規の適用、内容の変更に当つては予め在満帝国大使と協議する事となし、又税率に就ては一定の期間低率の過渡的税率を設けて在満邦人の生活に急激な変動を与へない事に努めると共に、附属地内外の在留日本人間に負担の均衡を失せざるが如き措置を講ずる等諸般の点に付深甚の考慮が払はれた為、円滑に取り運ばれた。尚産業等に関する法規の帝国臣民に関する適用に就ては、従来既に事実上黙認して居たものも多数あつたのと、其の他工業所有権に関するものの如く主として人民の権利擁護に重きを置く法規等を承認したる結果、何等の困難も発生しなかつたのである。尚日本人の居住徒来及公私各種の業務に於ける活動は益々自由且溌剌となり、日満両国民の融和協調を一層促進する状態となつた。
五 昭和十二年十一月五日調印の日満条約
其の後満洲国に於ては庶政の整備急速に進捗し、民法、刑法其の他の司法法令及警察通信其の他の行政法令は概ね実施せられ、之に伴ふ人的物的諸施設も亦大体整備せられ国内治安の粛正も著しく進歩した。我が政府は右諸事情を慎重に検討したる結果、第一次条約に於て未だ処理せられなかつた司法及警察其の他の行政に関し全面的に治外法権の撤廃、附属地行政権の移譲を為すも何等支障無き実情に在りと確信するに至つたのと、前述の通り昨年六月十日調印の条約の実績も頗る良好であるので、去る十月五日「満洲国ニ於ケル治外法権ノ撤廃及南満洲鉄道附属地行政権ノ移譲ニ関スル日本国満洲国間条約」の調印が行はれた。本条約の内容を稍々詳しく説明すれば左の通りである。
(一)本条約は条約、附属協定(甲)及(乙)及了解事項(附属協定(甲)及(乙)に対する)の三部より成つて居る。右の中条約は治外法権の撤廃及附属地行政権の移譲に関する基本的事項に付、附属協定(甲)は治外法権の撤属及附属地行政権の移譲の態様又は条件たるべき事項に付、附属協定(乙)は特に通信に関する事項に付、又了解事項は条約又は附属協定に関する細目事項に付規定して居る。
(二)本条約により治外法権及附属地行政権は原則として本条約実施と同時に全面的に撤廃又は移譲せられ、従て在満日本国臣民は一般に満洲国法令竝に其の裁判管轄権に服することとなり、又満洲国領域内に本店又は主たる事務所を有する日本国法人は一律満洲国法人となる次第である。
(三)然し治外法権の撤廃又は附属地行政権の移譲の如き大事業を遂行するが為には、過渡的便法として或は特殊の事項に関する特殊措置として種々例外を設くる必要のあるのは当然のことで、今回の条約にも右に関する各種規定がある。即ち過渡的措置として、附属協定(甲)の第三条に於て条約実施当時日本国領事裁判所に於て未決に係る民刑事の訴訟事件竝に非訴事件に関しては、引続き従前の例により日本国裁判所に於て処理せらるべき旨規定し居り、其の他の条文にも過渡的措置に関する各種規定を設けて居る。次に特殊事項に関する例外的措置として、附属協定第十四条、第十五条及第十六条に於て在満帝国臣民の神社、教育及兵事に関する行政に付ては、各事項の本質及在満帝国臣民の状況等に鑑み適当の範囲を定め、依然日本側に於て之が行政を行ふべき旨規定して居る。又通信業務及其の附帯業務に関する例外的措置に関しては附属協定(乙)第一条及第二条に規定を設けて居る。
(四)尚本条約に於ては治外法権の撤廃及附属地行政権の移譲に関聯し、日本国臣民の正当なる権利利益の保護等に留意し各種の規定を設けて居る。即ち其の主なるものは(イ)満洲国政府は日本国臣民の身体及財産に対し国際法及法の一般原則に適合する裁判上の保護を保障すべきこと(附属協定(甲)第二条)、(ロ)満洲国政府は南満洲鉄道附属地の行政を行ふに付、一般文化の向上及産業の進展等を阻害ぜざる様適当なる措置を講ずべきこと(附属協定(甲)第十条)、(ハ)満洲国政府は日本国臣民に対し警察其の他の行政を行ふに付日本国臣民の身体及財産の保護に関し一切の保障を与ふべきこと(附属協定(甲)第十二条第二項)、(ニ)日本国臣民の身分に関する事項に付ては満洲国裁判所は日本国法令に準拠すべきこと(附属協定(甲)了解事項第一)、(ホ)満洲国政府は条約実施当時日本国臣民が日本国法令又は慣行に依り現に享受する権利又は利益の保護に付必要なる措置を講ずべきこと(附属協定(甲)了解事項第一)等である。
尚本条約は本年十二月一日より実施せらるべき旨が規定されて居る。
六 結 語
今回の条約に依り、満洲国に於ける帝国の治外法権及附属地行政権は、原則として条約資施と同時に全面的に之を撤廃又は移渡せんとするものであるが、満洲国建国以来両国官民の至大の関心を集めて来た法権撤廃及附属地行政権移譲の問題が茲に解決を見た訳であつて、歴史上此種問題の解決が極めて難事業たるを示して居るに拘らず、斯の如く短時日に処理せられたのは真に驚嘆に値するもので、満洲国は建国以来孜々として諸般の制度施設整備充実し庶政の運用に当りても最善の努力を以て真に一般国民の安居楽栄に遺憾なきを期しつゝあるに因由するものと云ふ事が出来、本条約の調印を見たのは蓋し偶然の結果ではない。本条約の成立に依り、今後益々日満両国不可分関係は充実鞏化せられ、以て我等が所期する東亜永遠の平和が次第に確立せられ行くことは寔に欣懐の至りである。
元来治外法権の撒廃は支那が国民革命の一大目標として不断に主張して来たところであるが、無謀なる排外運動の結果、却つて列国の危惧を紹き、其の実現を見るに至らなかつたのである。而も誤れる坑日抗争の結果は、遂に今次事変の勃発を見るに至り、国内の混乱は永久に治外法権撤廃の機会をすら逸し去らんとして居る状態である。
これに引きかへ嘗つては関外の僻陬(へきすう)の地と称せられた満洲に於ては、満洲国が建設せられて以来日本との緊密親善なる関係を結んで、内政の整備、治安の改善に飛躍的な進歩発達を遂げ、建国以来僅か六年の短時日にして、早くも此の歴史的大事業の完成を見たのである。此の両者の対照こそ誠に明白であり、以て此の現実の依つて来たるところを知るべきである。