第五八号(昭一二・一一・二四)
 日独の防共協定         外務省情報部
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日独の防共協定
       ― 日独防共協定一週年を迎へて ― 
                    外務省情報部

   一 日独協定一週年

 昭和十一年十一月二十五日、帝国の外交史上に一紀元を劃したところの日独防共協定が成立してがら、早くも一週年を迎ふるに至つたのであるが、協定成立以後に於て、国際情勢は非常な波瀾変化を生じ、東亜に於ては支那事変の勃発を見るに至り、而もそれがコミンテルンの指導に基くところの抗日の激化によつて惹き起されたものであることに鑑みれば、日独防共協定の締結が如何に適切であり、その使命が如何に重大であるかを痛成せざるを得ないのである。
 而も、日独協定一週年の意義ある日を迎へるに先つて、去る十一月六日、新たに伊太利がこの防共協定に加盟してこゝに日独伊三国協定の成立を見、防共協定の威力は更に拡大強化され、欧亜を貫く防共の堅陣が出現するに至つたことは、世界人類の平和の維持と文明の進歩のために、祝福さるべきことである。
 抑々日独協定が締結せられた所以は、帝国政府が万古不動の國體を擁護し国家の安全を確保し、進んで
で東亜永遠の平和を維持するの不動の国是の下に、内は、國體を破壊せんとするところの無政府主義及共産主義に対して断乎としてこれを排撃弾圧するの方策を定むると共に、外は、東亜の平和を攪乱し、隣邦支那の赤化を企図するところのコミンテルンの勢力の東漸を防遏すべき確乎たる方針を堅持して居たのに対して、独逸が、欧洲大戦後のヴェルサイユ講和条約によつて負はしめられた重圧の下にありながら、よく艱難辛苦と闘ひ内外の国灘を克服しつゝ一路復興へと邁進して来たのであるにも拘らず、この間に於て常に内外の挙国一致を攪乱したのはコミンテルンの陰謀であつた事実に鑑み、一九三三年、共産主義排撃を旗印としたところのナチスが政権を獲るや、国家主義を昂揚し徹底的に共産党を弾圧し、コミンテルンの策動を国外に駆逐したのであつたが、斯の如き日独両国政府の反共産主義、コミンテルン排撃工作は、恰もコミンテルンの赤化工作が国際的に強大な組織を有して居るに鑑みて、国際的協力を以てこれに衝るに非ざれば、到底その効果を重からしむることの困難なるを認めて、こゝに共同戦線を創るに至つたのである。
 而も、日独両国民の有するところの崇高なる犠牲的精神、熾烈なる国家観念こそはこの日独の結合をして、単に事務的なる防共工作以上に、強力なる国民的協力にまで昂揚せしめた原動力であつて、今や両国が凡ゆる内外の難局を克服しつゝ、世界に於ける反コミンテルンの戦士として、防共陣の第一線に立つたのである。


    二 日独防共協定の価値

 日独防共協定は、何れの特定国をも目標としたものでもなく単にコミンテルンの赤化工作を対象とした特異なる性質を持つ日独両国間の協力を規定したるものであつたが、これに対してその真の意義を理解ぜず、その使命を認識ぜざるものがあり、従つて種々不当な批判も受けたのであつたが、日独協定の締結後、一箇月を出でない昨年の十二月十二日には、支那に於ては彼の西安事変が勃発して蒋介石が共産軍のために監禁せらるゝに至り、而もこの結果として蒋介石は共産軍の要求するところのいはゆる聯蘇、容共、抗日の三政策を承認せざるを得ない立場に陥つたのであつた。即ち蒋介石は聯蘇とは蘇支同盟を意味するものであり、容共とは支那共産党を仲介としてのコミンテルンとの提携であり、而して以上の同盟提携の勢力を背景として抗日を行ふといふことを誓約したのであつた。
 その結果として、以来俄然抗日は激化し全国的に対日抗戦の態勢は整へられつゝあつたが、遂に七月七日の蘆溝橋に於ける第二十九軍の不法事件を契機として、武力抗日の展開を見るに至り、事態は今日の支那事変にまで拡大発展したのであつた。而して今日に於ては、支那に於ける抗日戦は支那の共産党が中心となつて居り、それに対して蘇聯邦の支持があり、コミンテルンの措導があることは全世界の常識となつて居るのである。
 即ち事変以後に於て暴露せられた共産党と国氏政府との妥協合作の内容は、共産軍を中央軍に改編して第一線に立たしめ、また曩に逮捕されて居た人民戦線派の闘士であり救国抗日運動の指導者である沈鈞儒以下七巨頭、或は陳独秀、ヌーラン等の共産党の指導者を釈放して抗日陣営を強化した等の
事実は、何れも国民政府がコミンテルンの魔手に操られて、その実勢力の下に動かされつゝあることを現したものである。更に蘇支不侵略条約を殊更事変中に発表して蘇支提携の強化を誇張したるが如きは、紛々として伝へられつゝあるところの国民政府に対する蘇聯邦の対日作戦援助説と相俟つて、事態をして益々悪化に導きつゝあるものと言はなければならぬのである。
 以上の如き事実に徴して、防共の重要性は今更強調を要せざるところであるが、帝国政府は今次事変に先つて、昨年来国民政府に対して日支の赤化共同防衛を提議したのであつたが、蒋介石以下抗日に狂へる国民政府指導者の容るゝところとならず、遂に不幸なる今次事変の勃発を見るに至つたのである。国民政府にして、若し当時に於て日支防共に応じて居たならば、今次の重大事態は或は避け得たのであつたと信ずるのである。
 事態斯の如し。斯くてようやく今日に於て日独防共協定の真意義が理解され、その重大使命は認識せらるゝに至つたのである。故に茲に一週年を迎ふるに当つて日独協定に対する信頼と感謝とは、全日本を挙げての感激となつて爆発し、更に伊太利の加盟を加へて、正に白熱化しつゝあるのである。


   三 伊太利参加の意義

 日独防共協定の第二条は日独両国が第三国に対して参加を勧誘すべきことを規定して居るのであるが、伊太利政府は去る十一月六日、ローマに於て日独協定加盟の調印を了して、日独協定の原本に署名したる形式に於て、日独と平等の立場に於て防共協定に参加したのである。
 而して伊太利政府は日独協定加盟の議定書の前文に於て「コミンテルンが絶えず東西両洋に於ける文明世界を危険に陥れ、その平和及秩序を攪乱しつゝある」実情に鑑み、伊太利は平和及秩序を希念する国家と相寄り、密接なる協力によつてこの危険を減殺し、且除去せんとする信念の下に、防共を堅持する日本及独逸と共に共同の敵コミンテルンに衝ることを決意したものであると、日独協定参加の理由を明示して居るのである。
 云ふまでもなく、伊太利は欧洲大戦後に於ける経済的混乱に際して、コミンテルンの赤北工作により、北伊に於ける諸工場は共産党の占領するところとなり、赤旗は将に全伊太利を風靡せんとするの危機に陥つたのであつたが、この危機より祖国を救ふべく蹶起したところのファシストのローマ進軍によつて、コミンテルンの策動は忽ちにして各伊太利領土から駆逐され、爾来、ムッソリーニ氏の鉄腕政治はよく経済的不安と政治的難局を克服し、また国民の挙国一致、不屈不撓の努力は遂に今日の如き強力なる組合国家を建設し、今やローマ帝国再建に燃ゆるファシストの意気は、強大なる空軍を擁して地中海を睥睨しつゝあるのである。
 而も斯の如く反共産主義、コミンテルン排撃を標榜するところのファシスト・イタリーの建設は、欧洲に於けるコミンテルンの赤化西漸に対して、強力なる防共の第一線として各国に於ける赤化の侵入を防止したことは、欧洲平和に対して偉大なる功績を永久に記録せらるべきものである。更にその後独逸に於てヒトラー総統の率ゆるナチス政権の出現によつて、こゝに欧洲に於ける防共陣は一層威力
を加へたのであつた。爾来、独伊両国は世界に於ける防共戦線の二大指導者として、世界革命を目的とするところの兇暴陰険なるコミンテルンの赤化工作に対して、果敢な闘争を続けて来たのであつた。この伊太利が、この度日独と共に世界に於ける一大防共陣を結成するに至つたことは、誠に自然の勢ひであると言はなければならないのである。


   四 三国協定とその反響

 日独伊三国の防共協定の出現は、一米国新聞紙が指摘したやうに「これまで帰趨に迷つて居る欧洲諸国の行動に範を示すものである」と見られるほど重大な影響を他国に与へたものである。従つてこの三国協定が特定国を目標としたものではなく、また排他的、領土的の内容を持つものではなく、世界の平和と秩序の保持を目的としたものであることが明白であるにも拘らず、欧米の一部には「防共を看板とした新協定の目的は遠大なる領土拡張である」と邪推した批評も現れ、或は蘇聯邦政府は伊太利政府に対して非友誼的であるとの抗議を提出したとも伝へられて居るのであるが、モスコー政府は従来から、コミンテルンはモスコー政府とは何等関係がないもので、単にモスコーに本部を置く世界的の団体に過ぎないとの弁明を各国に対して与へて居るのであるから、勿論斯の如き批評や抗議は成立すべき筋合ではないのである。
 また日独伊三国の立場に対して、独伊はダニューブ問題で、日独、日伊は経済関係で対立し調製困難な関係にあるとして、日独伊三国の結合に本質的の弱点があるやうに批評した議論もあるのであるが、これは伊太利の新聞紙が「防共協定によつて日独伊三国の友好関係は増進すべく、この友好関係はコミンテルンに対する防衛以上の国際的価値を発揮するであらう」と指摘したところの、日独伊三国国民の精神的結合の強さを理解しない批評であつて、国家主義の観念に於て反共産主義の思想に於て共通なものを持ち、而も単なる政策を超越したところの、三国民の精神的な結合が如何に強力なものであるかは、将来に於て事実がこれを証明するであらう。
 何れにせよ、独逸を恐れる仏国、或は独伊に徹底的な態度を躊躇する英国、日独に重大関心を持つ蘇聯邦等に対して、日独伊三国の結合が非常な衝撃を与へたことは、これ等各国に於ける反響を以て想像することが出来るのである。而してその反響の大なることは、即ち三国協定の威力を裏書するものであつて、従つてコミンテルンに対して防共の効果を発揮するものと言ひ得るのである。



   五 三国防共協定を護れ

 東京=ローマ=ベルリンを結び欧亜を貫く日独伊三国の防共陣の結成は、蓋し近代外交史上に於ける一大偉観である。この三大都市を繋ぐ大道こそ、世界の赤化を防止し、人類の進歩と世界の平和とを擁護せんとする反共産主義聖戦の大陣営である。而も日独伊三国国民の精神的結合は単なる防共そのものが有する意義が全部ではない。防共は三国国民が世界の平和と秩序とを維持せんとする共同の決意を基礎として結ばれたところの国民的結合の一つの現れに過ぎないのである。日独伊三国国民が
提携結合せる根柢には、各国民相互の深き理解と尊敬とが存在して居ることを知らなければならぬ。
 従つて斯の如き各国の政策利害を超越した精神的結合は、各国が有するその内政外交の事情によつて影響されるべき薄弱なものではない。即ち独逸がナチスであり、伊太利がファッショであつたとしても、また更に日本がナチスやファッショと根本的に於て建国の淵源を異にし、國體と国是とを異にするが、それは何等三国の結合を妨げるところのものではない。況んや日本が日独伊三国協定を結んだことを以て日本がファッショ化したりなどとなすが如きは、故(ことさ)らになす悪意の宣伝か或は思はざる謬見である。
 今や、世界防共の緊陣は結成せられ、日独伊三国民は強固なる結合と、強力なる相互援助とを以て、コミンテルンの世界文明に対する破壊工作を未然に防遏し、平和と秩序とを維持すべき聖戦に向つて出陣せんとするのである。各国民の一人々々が、この平和への尊き戦士として、三国防共協定を護るために奮闘すべきことを期待するのである。