上海の死命を制す        海軍省海軍軍事普及部

 


 時中に明治節を迎へたる第一線将兵は冷酒を酌み交
             ■こ■−は
はしながら」任き日を寿ぎ奉り、盆†奉公の心を堅くし共
    ●・小                 ▲▲叫■▼
 の意気旺んなるものがある.加ふるに良き凌では親し
  附払珊
                     掛を
                                のと
                           溝ぐ
                         い睦
             眈馳

          t けん
く侍椎武官を仰襲泣あらせられ、鹿族司令長官以下験
        一い し一丁い し
月l同忙有叛き里旨令旨故に押下脇品宝鳩は丸、舞兵
 −同はこの無上の大御心に深く感激し、益モ轟忠報増
 の念を厚くして奮励努力以て聖恩に副ひ奉るべく力戦
 を繚けて居る.
                                 t▲’
  過ぐる日岡北の敵を寿仝に−挿したる海軍陸政経
                  一71≠
 の砲隊は江上條艇と協力して浦東側政義し、・之総
 括弊を加へた.又海上部隊の一部は第○艦隊司令長官
           い・}▲つ ▲y
 指坪の下忙棲めて隠溌裡に陸軍輪迭帖河を葎衝し、十
      ▲れい●い か手lレ}
 −月五日黎明前杭州鴻に進入し陸軍部族の上陸を金力
       ●」lん一r
 を奉げて掩鍾し、大成功裡に目的を達成した」かくて
 散の側晋を脅威し全く上海の死命を刺することとなつ
 たのである.命前垂部隊性悪天候を官して連日政牛t
 強行し、陸軍部隊の作戦を推進して居ろ.
   1 海軍舵空郡隊の活段
 上T−月lエR
 −轟方南

   慈天候を官しながら一部を以て陸軍部欝と協力
  故陣地を爆撃した外、左記を多数した.
    一丁●・Lrン
   浦東 敵砲兵陣地爆撃
    ‘ IV●く
  無錫 停革場構内各所爆破
     一▼ し▲一−
  蘇州 交逸機閲故に陣地爆撃
  二 南東方面
    lつ小ん
   是驚を攻撃し貨物列車、碩拍車及線路破壊
 一丁−月内日
 −上海方面
   天候不良忙して、要低く飛行困耗であつたが概
   ね左記を壌宰した.
   tし・’小
   蘇州河 南岸敵陣地攻撃
    一丁・Ilrシ
   涌東 敵砲兵陣地制盤
    ′−,けl
   軒梼飛行場 附近軍用自動車攻撃
    ‘ し●く
   無錫 停車場捧宰
  〓 北支方面.
        小いし,                              −,小い
    海州附敗及山東省南部各飛行場を偵察し騨仙仰
      しん灯
   線、津浦線滑線に於て横閑革、貨車を破壊
  三 南支方面
    軍事棒途]施設爆破

 ユTl月五日
   天候不良忙して飛行機めて困難であつたが→部を
  以て人弼東、南翔附舵敵陣地の曝宰を敢行した.叉杭州
  河上陸部隊に協力した部隊は濃落と惑天候を官し、
                  一ナ† 」7・
  日榛頚見に苦しみながら乍浦砲毒に爆撃を敢行し
  た.
 一丁−月大日
   本朝碑天候漸攻同夜したので、陸軍作戦に協力前
                                  ▲_ し
  而の敵陣地を壌やした外、敵兵力の移動集中を阻止
  する焉後方軍事撮鮎及施設を攻宰した.‖耳の主なる
  もの攻の通である.
      1■ 小・,  〓ん】▼ん一い 付    山 王▲フ     小一−ん
   蘇州呉江方面、鳥山背浦方面、嘉輿杭州聞、嘉曹、
    小 こ・ク lヽ▲′■−く
   嘉輿、崇徳附近
   南支方面に於ても廣東方両軍事輪逸施設む爆宰
  した.
 一丁−月七日
   終日天候不良にして攻撃困難であつたが、l部は
   一い ほ
  青浦附近の敵陣地を爆撃した.又南支方面に放ては
  前日同様軍事輸途施設を攻せ丁した.
 十−月∧日
  簡軍舵婁陳は全力を挙げて陸軍飛行隊故に各方面

                          一い 血
  煙軍第一線地上部隊と協力、上海附近より背浦、鳥
  山、蘇州方面に向ひ退却†る敵の密集部隊を羅迫し
                       ∫1フけいちん 小
  て徹底的打畢を輿へ、西部戦線に於ては楓箆鎖、嘉
    −rI ,
  輿、嘉青方南の敵陣地及敵部隊を爆撃、甚大なる揖
  】管を輿へた.
   又北支方南に放ては津浦線、態海線方面の軍事橡
  絵機関を攻撃した.

  〓 隆俄隊及栓船部隊の戦席
 (イ) 睦戦俊の戦村
   岡北一帯の掃蕩を魅了した後、砲除の大部を以て
            一′Ilrン
  江上艦艇と共に浦東側の敵制挺に努めつ1ある.ヰ
  の他特に異状なく戦場教理に従事して屠る.
 (口) 檻鎗部族の戦拘
  江上艦艇は連日浦東側の敵を攻宰し之に大打半を
  輿へ、為に四日以礁敵は沈赦し砲撃を為さず、刺格
  の色があつたが、五日陸軍部隊が杭州滞に上陸する
  や急速章浦江を渡つて西方に返却を開始した.
   ≡ 杭州滞救前上陸

  ヽlしl−          一んtl小●.
 杭州渦は上海の南東に位し鍔塘江の流れを受けて赤
  ▲1い一●       ▲▼ん一▲7
 土堆積し、粍底には暗礁多く干満の簑は帝洩の時でも
                          ▲ばI▲†●Itん
 四米に及び、潮流の純度六節、大潮には有名な典溌瑞
          ∫●→● ば
 の渦巻くところで舵著場としては最も不柁な研なので
 ある.我が海軍はこの困難なる状況の下に尖る五日未
 明陸軍の大部隊を稚近し安全に鴇陣せしめたのであ
 る.常日海上は稀に見る浪劣で祀界は棲めて不良であ
 つた.これは愉遽拍の舵行には非常に岡難を輿へたが
 】方に放ては却つて天輿の抑梯であつて、隅稗裡に析
   一I・ヽ
 定の鉾地に刑著するを待た.稀遽糖が投鋪†るや陸軍
 部隊は多数の上陣糊艇に介来し一直線に溝落の洋上む
                 ▲て▲廿II・・・
 舵漉して、賄岸根忙殺到し、叔々たる舵砲射弊の掩
 種の下忙見事なる挿卯を以て所期の目的を達成したの
 である.
  四 上海附紀−擬状況
 ハイ) 十一月三日墳に於ける上海の−般状況は次の油
  である.
     ●ユー’ン
 一 札江一帯は日毎に朽気を具し、連絡船人海毎
   に律挿するもの激増して昨日迄の復辟者一五四九











   名、新接杭者六三〇名に達した.
          付■
 ニ英租界は略モ平常と異ならないが、南京路筋商店
                      1汀●▲つ
  の奄、電車、.ハスの車照等に二日衆激竣なる抗日
     †んtんて1▲                      小ん山んヾい1い
  倖畢貼付せられ、「対日経沖絶賓】、「漢抑制裁」、
  「九固俵約合議に封日制裁を要求せよ」、「犬上潅
  を守れ」、「友邦英固に感謝す」等の棲譜を以て
   †んtん
  停車を撒布し、又は術粥儀演をなす者がある.
 三 俳租界の西部租界外地域及南市域内方面上り避
  弗者陸績として租界に入り込みつ1あつて、井の
  教約五〇常に達し、従来避難して居つた者と合せ
  杓首常に達すと官はれ、租界内各研は夜具家財と
  瑞込んだ避難民で大混雑を量してゐる.
 (こ 十一月七日頃に於ける上海附近の状況
 】 五日求明我が陸軍の大部隊は海軍の有数適切な
             ●∫▲▼し小い
  る掩種の下に折柄の狭祀界を利用し、杭州滞北岸
                            ●■一てん
  に兵敢なる敵前上陸を敢行し、直に上陸練鮎を占
          いと●●
  萌し、息つく逸もなく怒涛の如く】泉に北上して
  轟西南方南に進やしっ1ある.
 ニ我が飛行横の偵察に依れば浦東方南の放は右往
  左往し全く浪乳状態に格れるものの如く、何蘇州
  河南方地直よりの滑息忙上れば国方面の安井宰は
          ’ヽ17け}
  六日以来軒橋路方面の支那人家靂は勿給、外商人
                   ,▼くガウ
  住宅軟曾等の見境もなく盛んに椋奪して居る模
  様であるが、東郷例は杭州潜に上陸せる日本軍は
 小部隊に過ぎぎるむ以て之を包贈中a放逸して支
             ■付▲わ・●d
  邪軍の動格防止に大童となつてゐる.
  五 南京状況
 我が婁製下にある南京の適確な情勢は久しく不明で
       与rん     ちいこ
ぁったが、最近産山上り南京経由雑鴻せる某埼人の鈍
察故によつて南京の現状が明白となつた.上海事変牽
                                             く
生以来数十同に亙る我が杢軍の猛製で南京城内外及句
 ■●l一,
容の飛行場は勿姶、中央軍官皐校、軍事委員曾、軍政
帝、参謀本部、中央来朝、財政部等の主なる朱、故、羊
        くわん ‘
三諾の建物は尭庸なき造に破壊されて居るが、吏忙
中央無線毒、放遽局、額電朗、水道曾批等の斉つた鎌
青も甚大で各域門の中では甫門の被曹が最も大きい・
 事辞箭首十飴常に上つた南京の人口は今や三、四十
苫を験すに過ぎず、軍事外交関係を除き政府横押の中
                       ●んし●I
には外形のみを残して共の一部又は主要部を清畠方

南へ臨時移挿させたもの多く、薄介石直属の中央政治
           ▲てい い ▲ん
皐校の如きも教育長丁惟紛引率の下に床山で開校され
南京には看板だけを留めて居る.市内商肪の如き〕ぺ戸
を開けて居るが商宋は仝ぺ上つたりで、衝はさぴれ切
り、今や南京は一の察城と化し去つた軌がある.衣
代市民は我方の事態に封する恐怖の除け全部繁る祈に
地下宋を設けて居る.如ち各家庭では自費で設備して
居る外、公衆の避難研も相常の故に上るが、中山路に
上つて市内より下関に山る域門内側の丘陵を利刷して
作つた地下曳が最も完備して居り、軍事線指坪の最高
糠閑は此虚に乾かれ南北戦線に溌令して居ると首はれ
 る●
  桝紀訂正
 週報第五十四溌二十一頁十月二十日海軍省額表支那
 飛行機の揖事故に誤記あり、左の通訂正す
 ∇繰記の分
    細帽疏 椚ほ戟@ 計
            ● ● ●            ● ● ●
  撃 墜  \一四六    七  −五三







            ● ● ●            ● ● ●
  地上壌破   〓〇五     七   〓〓一
   計     三五】    −四   三六五
 ∇訂正の分
    捕ほ戟@椚憎ほ戟@ 計
          0 0 0          0 0 ●
  半  壊  一入四     七  一九一
          〇 〇 〇          〇 〇 〇
  地上爆破   〓ハ七     七   】七拐
   計    三五一   一四   三六五
−▲参 考u
 十月十日海軍省公表
    ほほ硫 憫ほ戟@ 計
  革 墜  一七四    七   】入−
  地上爆破   〓ニ六    七   】四三
   計    三一〇   一四   三二四
 十月十−日より同二十日迄の支部軍飛行機爆破教
 c壌約 l≡(十月二十鼻糞副嘉蔑∨