第四一号(昭一二・七・二八)
 派兵後の北支          陸軍省新聞班
 国民心身鍛錬運動        文 部 省
 北支那を観る          外務省情報部

 北支那を観る          外務省情報部

 地理的に見た場合、北支那といふ概念は、漠然と南支或は中南支に対するもので、揚子江以北或は黄河以北の地域を指すものと云つてよからう。然し我国で現在普通にいふ北支那は、河北、察哈爾、綏遠、山西、山東の五省のことである。所謂北支五省は、満州国の西南に当り、熱河省と境を接し、渤海湾を隔てゝ奉天省及我が関東租借地に面し、黄海、玄界灘を隔てゝ朝鮮及内地を望んでゐる。東経百十一度から百二十二度、北緯三十五度から四十七度に亙る一帯の地域で、面積百万平方キロ、人口七千七百万。省別にすると左の通りになる。

  面積(平方キロ) 人口
河北 140、526 31、232、131
察哈爾 258、815 1、997、015
綏遠 304、058 1、123、768
山西 161、842 12、228、155
山東 153、711 30、536、001
1、018、952 77、117、070

 人口密度は約七十八人(一平方キロ)で、満洲国の二十九人に比してズット高く、満洲国最高密度であり奉天省の八十三人に略々等しい。然し日本内地の百八十人に比すれば、物の数ではないが、河北(二百二十二人)、山東(百九十九人)二省だけに就てみれば、何れも日本内地の平均率を突破してゐる。河北省は最豊饒なる黄土沖積層に属し、北支那平原に位して居り、山東省が山地であるに拘らず、かゝる密度を保持してゐるのは、農耕地として、土地が極度まで利用されてゐるからである。
 

 


 北支那の重要な都市は、北平(人口一、四六七、五〇〇)、天津(一、三八七、〇〇〇)、青島(四四〇、〇
〇〇)、済南(四二一、〇〇〇)、保定(三一二、〇〇〇)をはじめ、五万以上の都市が十六あり、これに北
支那全人口の七%が住み、人口一万乃至五万の都会にもも約七%が住み、残余の八六%が農村に住んで
ゐる。
 気温は綏遠、察哈爾、山西の平均温度が摂氏五度、
冬は零度以下に降る時が四箇月、夏は三十度に昇
る。河北は平均一ニ・四三度、零度以下が三箇月、夏は
七月の平均二七・一度、山東を青島の統計で見ると
平均一二・三度、零下が二箇月、八月が二四・八度。
同じ北支那でもこれだけ違ふ。概して大陸性である
が、例へば河北などでは奉天ほど寒くなく、夏も空
気が乾燥してゐるので、温度の高い割合には暑くな
い。
 雨量は河北地方で年六〇〇粍以上、山西地方五〇
〇粍、山東六二〇・五耗。日本内地の大部分が一五〇
〇粍以上であり、朝鮮が八〇〇−一〇〇〇粍なるに
比し、雨量は遙に少く、且不規則である。其の結果
は、水災と旱魃とが屡々起り、飢饉に見舞はれるこ
と尠くない。
 資源の重(おも)なものは石炭と鉄である。石炭の推定埋蔵量は、山東一、六三九百万噸、河北三、〇七一百
万噸、山西一二七、一二七百万噸、察吟爾五〇四百万噸、綏遠四一七百万噸、計一三二、七五八百万噸
                             あたひ
であり、就中山西の埋流量は全文の大判に壊する乙とは注目に億する。(支郷は埋流量に於七光囲、

姦陀に次ぎ世界第三位)
      河 北
      察吟爾
     解 凍
一九三四年の出炭額(単位千噸)は左の漁りである。
 七、三五〇、〇二五    山 西   ニ、六ひ○、三三凶
  一〇〇、五〇〇     山 東   ニ、三〇〇、七七二
    九〇、ニ00     新   一ニ、四四一、入三一
 有名な炭坑としては、井陛(河北省政府と狗逸商の共同経沓)、開溌(巽東地区、英文合射だが資樺
               L†ん
は英周に在る)、石門塞ハ河北)、渦川(山東、日支合弊魯大公司)、樺山ハ山東)、中興(山東)等である。
                                                                                    /′L
 銀鱗埋裁量は河北凹一、ニ00千噸、轟吟爾九一、六四五千噸、叔速一〇、七〇〇千噸へ山西三〇、0
00千噸、山東一四、三〇〇千噸、計一入七、入四五千噸であり、金支のそれは三人〇、000千噸で
、∪
あるから、約年分に骨るわけである。有名なる銀山は龍痩(察吟砺)、金機銃(山東)等であるが何れも
東開発である。
其の他の鱗牽としては金、石次石」石棉、嘩土、蹴僻、硫黄、銅、石膏、天然曹達等が参る0
 農建として棉花(四官宵乃至五官常滑†】拇は官斤I)、小変(約一億三千萬措)、難穀、痩草、豆
専.葦として獣皮、欺宅等が参る。

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礎の蔑出も亦有名であつて長立禁河北)凹官焉、山東堕五軍手萌揖の年箆額が参り、乙れら
の棉鎗最が日本指輪入ぜられ<むる。                   、
交洩に耽ては、埠虫に響壷Tが首都で参つ陀といふやうな政治的関係も手樽りて、北安打於ける
銀沓義は此牲的多く1・河北省の如きは全文第一の地位に在る。省別里碇ハ単位粁)左の如くで参る0
眈一十四郎報濁
河 北
察吟砺
破 壊
「三五三    山 西
 三ニ○    山 東
 二五凹     計
 七六七
 七九五
三、四九⊥
灸真の旦租は竺萌粁であるから、北賓五省で其の三割飴を占め七ゐるわけで挙る。偶五省に関係
参る七蛾濃本立線凰租ハ粁)は左の如くで為る0







J」



▲浦
‥萩



跡叩
線ハ北茄T−浅口)
線ハ天津−浦口)
線ハ北干包頭)
線ハ石家荘−太原)ハ狭軌蛾遭)
輿血彗門島)
線(北千−山韓粥Y
線ハ大同卜蒲州)ハ狭軌、建設中)
一、二一四
一、0〇九
 →八一七
 二四二
 三九五
 四二八
 ヰハニ九
ろ 朽 を 郡 家 北
、じ
 25
●■■■■−
 水運及帆船航行可能性敷二、二二五浬であるが、海洋船出入の河川としては、天津の白河があるに
              モか1一
過ぎない。それとて天津空で励伴析し得るのは、千教官噸空でゾある0
 盈路の構築は、鉄道網の不足を補ふものとして、目覚しき凝展を凌げて居り、北文五省に於で
も非常なる凝達振りである。主要都市同には蛾道の代りに乗合自動畢がある0法妾アるのは、日
本人の経脅する北平多倫聞及北卒承徳開のバス故に支那側経轡の北平新額間バス釘円煮経由)である¢
 航蛮は中開航蛮公司ハ米支姦)の北平、天津、青島、上海磯と、欧亜航蛮公司ハ狗安各射)の準
鄭州、漢口線があつて南方との聯絡をなしてゐる0又蕗沌公司首嘉)は天津を乱丁心とし五窄、
張衆口、山海閑、大津等に飛行してゐる。
 我国始め列国は北支那に於て渚種の利権を有してゐる。乙れか尭の他斉ほ依つて分蒋アれば、(一)
軍隊駐屯樺、ハニ)軍事上の特殊樺彗〇ニ)居留地及公使館宮城、ハ四)句粥に基く樺蛮の四りと
    ち富ん                     止妄▼


なる0                                    「
                            くhく▲7▼ .
 北蚕に放ける列国軍隊の駐屯檻は、北清事襲の結果拝得ゼるものである¢」腎一九〇−年九方
の北持寄牽ほ閲する籠足音第七備に於て、各固は其の公使館防舛の托めほ、公使館葦甚
護衛兵を置く樺利を得、第九條に於て各固は北京−海溝間の星アる托め覆1琴埼
材「天彗軍瑞域、鮨揖、宴、唐山、琴【尋秦皇島、聾芸鈎ほ虜丁る樺驚・る乙
                                  ▲よ
と晶めさゼね¢各国の童軍は、乙れほ建って今日常駐してみるの・で参る0

26
一■■■■−
奴 一十 四餌租凋
 軍事上の特殊塙釜は、北持寄攣最終帝定審及天津遭
        ふ・‘
附協定に依って賦輿ゼられたもので、大儀左の如くで
為ソる0
 (一) 天津駐屯の列岡駐屯軍から二十支曳以内の支
  那兵接近‥禁止
                  てつくhい
 (ニ) 北京−山海開閉の支那側砲轟撤同及寄集禁
  止滋に白河口、山海閑、萱良叩に於ける海防設備
  禁止
 (三) 列開駐屯畢指揮官の北京−山海開銀道沿線二
  哩以内に於ける裁判樺
 (四) 列固駐屯軍泣に其の使用品の免枕
 以上の外、日本は一九三三年五月三・T一日調印の
            ヽ▲
「北支停戦協定」に破り、河北省東部ハ大略草笛域に
     ひ 月寺・}
和音す)町非武装地帯の設定を支那側に賓行さゼて
居る0


租 本

る 概 を 郷 支 北
 2ア
●■■−■
 居留地及公使領区域.北支に於ける専管居留地は天津に在る日英備伊四囲の各租界で参る。「公使
館富域」とは北平に於ける列圃公使の存在する一健の宮城で前記北滑車攣最終轟定事第七備に基き該
官域には支那人を居住させデ、乙の地域の警察、行政等は、列南の行政委員曾が乙れに骨つてゐる。
乙れらは何れも外固が支那領土内に於て一定範囲の行政樺を行使し得る特種官域で参る。乙の外
朝鮮肘として外聞人の居住沓兼のために開放ゼられたる土地が多数参る0(済南、青島、封新、張
衆口等)英国は一九三〇年成瀬街租借地を返還したが、何同地に崩し若干の特殊横島を保有してゐ
る0
 悸敢に拳く権益
                                                                                        し
 (イ) 各種企巣投資 各固典天津、青島を中心としてゐる。帥ち天津に於ける日英彿白の電力供給
 (白岡は市街電車を経脅す)日英の屠殺、日本の紡績、光岡のカーぺ,ト、毛織工業等。青島に於
 ける英米の壇草、日本の紡績、燐寸、屠殺、歩酒等。其の他北平に於ける件の電力供給、萱島
 に於ける英(是)の電力、水蓮等が参る。而て北真に於ける企業商社赦及投資額では列南中日本
  が最も多い乙とは疑ひない。
 ハロ) 戦法借款 戟定借款にして北支に粥係ある主宰なるものを列皐すれば左の洩りである。

 2¢
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蚊一十四鮪報週
錬蓬名丁款年有権図
北   専一入九入 英   国
平   淡一九〇・入 英   併
      → 九 →一日   本
洋   涌一九〇七 英   珂
      −九 1 0 グ
平   按 l 九一入 日   本
      一九二一日   本
      一九ニニ 自   国
山   東一九l一ニュ 日   本
山東二銀藩−九一入 日   本
同   止叫一九−三 併   白
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ニ0、000、00〇
一で000、000
戴潰確保、支線建設#
旦溌埼保
窪収入其の他糠保
銀導堺入其の他浄保


抵壷先様
現豪入00、000碑
仙零落櫓倖ハ補僕金)
高徐、済順壷二豊前貸金
東成操、現豪石高凄
(ハ) 鎌山投資北支郷に於て列国の関係してゐる餞山は日本の金凄(蛾)、坊子、滑川、博山、
琴石門禁以上石炭)、英囲の開涛、門頚溝の南炭坑、狗南の井陛炭坑、白固の路城炭坑が其
 の主なるものである0
ハエ)交並池逢瀬底電傍線を有してゐるのは日英丁三南で、由本は佐世偲丁青島、大連1芝潔

                                             ノ
ろ 粥 を 邪 支 北
29
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 線を有してゐる。航轟関係は、前述の通り日、米、濁三園が乙れを保有してゐる。
                                 き と・)
 北支那の政治情勢はとうなつてゐるか。河北の東部に薫防共自治政府があり、段汝耕が其の長官
となつてゐる。所謂草政柿がそれで、其の地域内では南京政府の命令が寄算上行はれてゐない。巽
                 きさつ
東を除いた河北及察喩爾一一省には、巽察政務委員曾といふ特殊機関があり、来哲元が其の葬員長、貫
徳漉、脊撃巧秦徳純の三名が常務に常つてゐる。乙れを巽察政権と洩稗してゐる。各省には別に省
政府委員があり、其のうちの一人が主席となる。現在河北は褐治安、察吟爾は劉汝明、綴遽は樽作
義、山南は趨戴文、山東は韓復壌で参る。太原及保定には務靖主任が多野、閣銀山と朱哲元とが乙れ
に普つてゐるが、乙れは耳事的機関で参る臥
 以上敏雄し化ところに依つて、甚だ簡略ながら、北支五省の概念が得られたと息ふ。乙れを要する
に北東郷の地位叱る、支那人の所謂「大西北」、帥ち印西、季夏、甘粛、霧、新務地方を後に撞へ、
一両浦洲とは貿易、移民関係等孝つて切っても切れ拍不可分の関係に在り、地形の掌るとと其の
此を見ない地域である。故に東郷北方に典海ゼる大陸勢力は、常に乙の地域に嬢って蓉菜を成した.
止琴−金、元、堰くは滞の各朝、費現在の北平に都し、よく増常期弼持ち乙たへる乙とが出水た.乙の
間唯一の漢人同家である明朝は、太租一代が僅かに南京ほ都し池のみで、次塞文帝の時になると、
                                       lノウ
其の叔父町営る燕王(成租)が、今の北平に起って建文芸め汝ぽし、都を北に覆したので参る.
清朝が滅びて民粥となつてからも、十七年間は北京が首都となうてゐたので参つて、南京圃民政貯

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統一十 四節報週
は、共の発未だ十年を出でないので参る0
                            くわんぜつ     よi
北支那に於ては、日本は最多数の居留民を有し、列固に冠絶アる樺金を擬し、朝郡なる刺客関係
を持つてゐるので参るから、乙れが保護、防衛は日本政府の重大関心を有する所で参るが、最近に於
ては、乙れに加ふるに満洲闘の成立参り、日満條約に蟻つて固防及治安維持の責任を介檜するa
      せりじや一フ・                                さ′ヽ
本は、満洲閲と接壊し、満洲開民と言語、風俗、習慣を同じうする北支那地域が、反日満工作の発
けんち     lI上−よ・’                                 lくL
源地たる乙とを許容し禅ヂ、叉同地方が赤他の目標となり共産軍の活動に委ゼらるゝを款親し得ない
ので参る0特に北支の地は帝国の理想とする日満宰面の経済的蹴蹴を先プ以て新郷すべき地で参ら
ねばなら瓜。乙れが最悲に於ける北安岡題の意義で参る.