第四一号(昭一二・七・二八)
 派兵後の北支          陸軍省新聞班
 国民心身鍛錬運動        文 部 省
 北支那を観る          外務省情報部

派兵後の北支          陸軍省新聞班

 其の後蘆溝橋附近の支那軍は、逐次陣地を増強しつゝあるばかりでなく、絶えず不法射撃を行ひ等(など)して、挑戦的態度に出て居る。
 七月十四日、我が騎兵隊が団河村(北平南方約十五粁)附近を通過し西進中、主力は何等の妨害をも受けなかったが、其の後方を前進中の警戒斥候に対し同村附近にあつた支那兵は突如射撃を開始したので、之に応戦し、我軍に於ても一名の戦死者を出した。
 又天津を出発し、通州道を前進中であつた我が一部隊は十六日午前八時頃、安平(通州東南約三十四粁)に差しかゝるや、同地にあつた保安隊数十名から突如射撃を受けたので、直ちに部隊は之に応戦して其の武装を解除した。
 一方南京政府は、南方から逐次其の兵団を北上せしめてゐるが、其の総兵力は、十五日迄に約二十一師、十八日迄に約二十四師半に及び在来の第二十九軍と合算すれば、約三十師に上るものと見られてゐる。これら中央系の軍隊は其の大部を保定以南彰徳、鄭州の間に集中中であつて、其の一部は長辛店附近に進出してゐる模様である。
 又中央空軍の主力は、鄭州、洛陽、海州、徐州附近に集中中の如くである。
 以上の如く中央軍が梅津、何応欽協定を蹂躙して河北省内に侵入してゐるので、十八日午前其の状況偵察のため派遣せられた我が偵察機は、北部平漢沿線を偵察し其の事実を確認した。又右飛行機は河北省南部順徳及元氏(順徳北方約八十粁)附近を飛行中、運行中の支那側軍用列車から射撃を受けたので、已むを得ず之に応戦し若干の損害を与へた。
 次に十八日午後一時第二十九軍の宗哲元及張自忠は、天津の偕行社に、我が香月司令官を訪問して遺憾の意を表し、「将来共産党分子、藍衣社其の他排日団体の策動を禁止取締をなし、日支親善に一段の努力をする」と誓つたのであるが、其の翌日、即ち十九日午後六時頃又もや、西五里店西側に在つて警戒に任じてゐた我が小部隊に対し、蘆溝橋から不法射撃を行ひ、我が中隊長に重傷を負はしむるに至つた。先般来日本軍は隠忍に隠忍を重ね、一発たりとも応射ぜず、忠実に協定を履行し、只管支那側の履行を監視してゐたに拘らず、以上の如きを繰り返すを以て、全く黙視し得ざるに至り、我が駐屯軍司令部に於ては、彼が再び斯の如き不信行為を繰り返す時は二十日正午を限り我軍は独自の行動を採るべき事を、冀察当局に対しては通告すると共に、一般に声明したのである。而して、十九日夜我軍は二十九軍の代表と、去る十一日調印した協定に基き、共産党其の他排日取締に関する具体的実行方法に就き協議する所があつた。越えて二十日に至るや、午後一時八宝山及長辛店附近から我に向ひ盛んに砲撃を行つたので、豊台の我軍は坐観する能はず、遂に砲戦を交ふるの已むなきに至つたのである。我が膺懲応射によつて一時沈黙した彼は、午後四時又もや蘆溝橋、八宝山附近より我が部隊に対し射撃したので、我も再び応射して之を沈黙せしめたが、我軍に戦死者一名、負傷者一名を出すに至つた。我が軍の堅持せる事件不拡大の希望が、斯く蹂躙せらるゝに至つたことは誠に遺憾であつた。
 尚陸軍運輸部塘沽出張所は将来の使用を顧慮して塘沽の南岸、日本軍用地内に桟橋を構築してゐたのであつたが、十九日午前中支那軍は之を破壊し、其の材料を奪取し、塘沽上流約八百米の地点に散兵壕を築き、機関銃を有する約三百名の部隊が之に拠り、更に大沽駐屯の支那軍も同地村落の周囲に陣地を構築して我に敵対の態度を示してゐると云ふ報告もあつた。其の後支那側では我方の厳重な申込に応じ、塘沽附近の散兵壕を撤し、破壊した桟橋の賠償方を申出た。
 一方南京政府の動向を見ると、蒋介石は十九日午前廬山談話会に於て(イ)主権領土の厳守、(ロ)冀察行政組織の不変更、(ハ)中央派遣官吏の更迭拒否、(ニ)第二十九軍の駐屯自由の四項目を最低限度として平和を愛好する者なりと云ふ声明を発して、国民に呼びかけたのである。
 尚今回の事件解決の要件として去る十九日協定調印された約諾実行に関する細目につき、二十三日午後八時二十分陸軍省から左の通り公表された。
 「支那駐屯軍よりの報告によれば『今回の北支事変に関し、冀察側に於ては責任者の謝罪、処罰の外、今次事変の原因は所謂藍衣社、共産党其の他の抗日系各種団体の指導に胚胎する所多きに鑑み、将来之が対策取締を徹底することを協定せり。則ち冀察側は之が実行の為、七月十九日文書に拠り左記具体的事項を自発的に申出たり。
 一、日支国交を阻害する人物を排す。
 二、共産党は徹底的に弾圧す。
 三、排日的各種機関、諸団体及各種運動竝に之が原因と目さるべき排日教育の取締をなす。
 又別に冀察側は、今回日本軍と衝突したるは主として第三十七師に属するものなれば、将来双方の間に意外の事件発生を避くる為、同師を北平より他へ移駐する旨通告し来り、昨二十二日午後五時以降列車により逐次南方に移動中なり。』と
 駐屯軍は目下之が実行を厳重に監視中なり。」