第三六号(昭一二・六・二三)
 失業者更生訓練施設に就て     社 会 局
 オリンピックの沿革         文 部 省
 赤軍清掃事件          外務省情報部
 最近公布の法令         内閣官房総務課

 

  赤軍清掃事件
                     外務省情報部

   一 流言蜚語の蘇聯邦


 去る二月一日ピヤタコフ以下十三人が銃殺に処せられて世界を驚かした並行本部事件が一段落を
告げた後も、ソヴィエト聯邦は依然暗雲低迷、陰鬱な空気が漂ひ、流言蜚語は盛んに行はれて物情
騒然たる有様であつた。(週報第十七号参照)
 バルト諸国方面からは例に依り各種各様の情報が放送されたが、或は第二次トロツキー派の裁判に
関聯して約一万に達する多数が逮捕されたと報ずるものもあり、また多数の亦軍の将校が逮捕され、
スターリンンとウォロシーロフ元帥との間に紛議を生じた結果、ウォロシーロフは国民人民委員を辞職
し、ブリュッツヘル元帥がその後任となるかも知れないこと、或は国防人民委員部第二次官のトハチェフスキー元帥の副官のみならず、トハチェフスキー自身も逮捕され、また外務人民委員,リトヴィノフの夫人
が逮捕され(一説には同夫人は元英国人であるがため蘇聯邦当局も結局逮捕を差控へたともいふ)、リトヴィノフ自身はパリ、ロンドン又はローマ大使に左遷され、代理のクレチンスキー又はタイロフが

036-13

.その後佗となるで為らうとも鞄ぜられ、きた食料品の不足甚だヒ農民及昇働者の不満は非常なも
 のであり、二月川口の夜、食料品切不足と多数の逮捕とに憤激し托暴動が考スコIに起り、スター,
 ソ打倒を叫んでグ・ベ・クと衝突し、叩術戦用の小型クソクが出動して狩座した綽果、死者十五人、負傷
 者川十人を生じた等々の風紋が次々に停へられたのであつた。
                                          ひ−りん
 かうした碑銘のと乙ろへ、五月十日閑防人民葬貝部第一次官のガヤルエックが罷免され、同じく粛
 二次骨のトハチェフスキ1光帥が沖ヴォルガ軍管囁司令官に左遷され、参謀組長エゴワフ元帥が次官
 に稗じ、yヤポll;大雅が参謀組長に、ヤキール大将はごン〆ラ▼ド畢管富司令官ほ夫々轄仏を
                                                                                                                 −
 命ぜられ托旨が発表されたのであつ托。
 乙の亦車首脳部の異動の中で、ガ†ルエックは券働者出身で参りながら赤耳の総元締めとして、寄
 ら赤草の政治方南を澹任したので参つたが〕並行本部事件の互預のビヤタ≡ノとは革命以来の親友で
 あつ托のであり、萱陀トハチェフスキーはトロッキー没落の常時にはトXツキー派と見られて居り、
 その後も兎角の風評が参つたが、貴渡川身の薔薇制時代の軍人では参るが、今日では赤軍一流の用兵
                           ●■ゆぞ・
 作戦家として濁怖等の各固からも認められ赤軍内に隆々たる考宴を持つてゐたので参るから、乙の
 二人が罷免され、左遷されたのに対しては各方面とも相普注目してゐたのであつた。
  と乙ろへ五月三十一日ガマルエックが突如として自殺を遼げたのであつたが、その自殺の原掲とし








.て新聞紙に件へられねと乙ろによれば、枚は成る陰謀事件に抑して陰謀人との抑係が暴露する乙とを
恐れた結果であるといJ♪のであつた0乙1に於て事件は只事ではなく何事か起るであらうといふ威じ
 は維れしもが‥持つたのであつた〇

   二 八将軍銃殺さる
                      †いさえ−つ
 ガ†ルIl,クの自殺以水俄蝕赤軍首脳部の清荷役が樽へられ、ブタ・ツヘル、トハチごノスキ\
デジ.yヌイの三元帥を初め、新参謀組長のyヤポy三Pフ、∨…〆ラード軍管富司令官のクポ
;イタチ、フーカサス軍管宮司令官のレバンドフスキト、国防飛行科挙協曾長の言デ:の各大
牌及前外務人民委員部次官のクレスチンスキー、前大使のカラハソ滋に−Iゼンベル〆等が速補され
 たといふ風紋が各方面に轢きつたので参つ托。
 モのうちに六月九日、デジ.yヌイ元帥がキスコI軍曹笛司令官に任命されたのを初めとして、白
巧y−;〆ラード、コー丸サス、治ヴオルガ各軍管宮司令官の更迭が教表され、エチ;スキl
元帥、クポYクィ,チ、ヤキ・ル、eソドフスキ・及エーデ:等の各大牌が罷免されたので、乙
れ等の人々の速捕枚は費であると惚められ、愈1赤軍の大河帝工作が拷始された乙とが明瞭となつ
たので参りた〇一

 呼くて十一日には上記のトハチ;スキエ刀帥以↑ヤキール、クポ∨クイタチ、エーヂ;各大略及
フルノブエ陳罪大挙校長のコルク大準岡防人民葬貝人事局長のフェザド;、ごソ〆ラード軍管
囁刺司令せのデモマコア及元駐英武せのプトナの各大棉の八人の亦耳最高骨胴部がグ・ぺ・クによつて
決棚ゼられ、理解が終結しイ裁判に附ゼられ平乙とが韓表されたが、預解の内容によれば、乙れ等の
             せんせい
赤耳首脳求は野人とし三番ゼる弟務に泣反し、凧桝ソゲイ言、同氏及赤罪に封して牧逆を企てた
ものであり、且自殺し托ガマルエックと兆に、ソゲイエト聯邦に封して敵対政策を執つて居る共外図
                                          てふはう
(乙れはドイツを指ずものである乙とが明らかである)の罪首脳部と滝謀してその罪串諜報機関の托
めに、赤恥の内情に撃クる情報を松伏し、耶節の場合に於ける亦黎の敗戦を準備し、且地主及資本家
                                           〜
政桃の役柄を竣助ずる乙とを計尭してゐ托ものであつたといふのである0
 トハチェフスキー元帥以下の八人の被爪‖は、帥H聯邦最高裁列朗の特別裁判に附ゼられ、同裁判所
罪郡部長クルイブフを満長とし、嬢恥部長のアルクス…、プジ;ヌイ、デ,ュツヘル南元帥、参謀
組長のyヤポy三コフ1自落第竹垣司令官のべXフ、レニングラード畢管囁司令官のドイペンコ、
 ヲーカサヌ罪管囁司令官のカyワン及節六騎兵軍閥長のゴヮヤチエフ等の各大郷を葬貝とする秘撼裁
判に於て一九三川年十二月一日附の死刑嬰ハ渦報第十七眈参照)によつて何れも死刑を某‖され、・
 繁十二日に銃殺に虞ぜられ陀のである。










 なほ圃防人民葬月のクオワシIワフは十二日に布告を韓して、本件は内務人民葬員部の摘額ほ基く
ものであると述べ、ガ†ルエック及トハチェフスキー等の罪状を列挙し、就中ウクライナを他開に譲渡
し、ソゲイエト聯邦を分裂ぎゼようと筒つたと指摘し、更に赤軍は依然ソゲイエト樺カの忠貸なる守
                  し小′ヽ什−ん吋レけい
護者でなければなら瓜、乙れがために萌畢自替を断行し以て赤畢を益{強化しなければなら瓜旨を
 きや●つて●’
強調したのである。

   三 赤軍構抒の動機
 今庄の衝撃工作は、外岡と洩試し毒閥瓶逆を企て托罪状によつ机下ぢェフスキー以下の八楷畢
を銃殺の極刑に虚したので参ると発表されて居るが、それは全く表面の理由で、奥の原飼、兵の動機
                                      モうがふ
は婁に沌く潜んで居ると見られて居るのであるが、各図の新開等に現れたと乙ろを結合すれば、第一
          どくさい斗−やlフくhさく
にスクータソ政権の狗裁強化発で為るといふ観測は何れも一致して居る。元凍赤軍はツゲィエト革命
 よ1フごしや
の擁護者として生まれたので参つ咋が、その後赤寄が仝ツゲィチト聯邦周囲防を糖任さゼられるに至
って、その内容が量的に非常な凍大を見て、今日では世界一の陸軍」世界】の蛮軍を誇り得るに至る
                                                                 h
と典に、萱た質的にも梵くべき程の機械化が行はれ、共産煮の指導下に在る赤軍から仝ツゲィエー聯
                                                                                                        一▼
邦の固軍へと成長し咋のであるから、ヱの鮎で固軍室上主義を執る赤軍首脳部特にトハチェフスキー

元帥と鵜産演中心主義のスターサンとは深刻な封立を見るに至つ托のであつた。而もエチェフス
               しの
キーの勢力はクオ=I…を凌ぎスターワンと府を比べるに車つたので、・スクータソが彼を桝す決
心をし陀ので参るとの訣も参る。
 褒に合同本部事件及並行本部事件等によつて共産賞の内部及産業部門に於ける反スターサ蒜を
  き−き
表し写その猫裁を強叱しす泰望クーサンとし1は、愈衰後の段階として亦軍部内の清嘩工作を
断行し牲辞であるが、恰旦明年言よりは撃二次五ケ年計婁に著手する1とが決定したので、乙の第
三些五ケ年計儀の若手を掟へて赤軍の大清掃を行つた乙とは和音意味のある乙とゝ想像される。即ち
赤恥の粛正によつ壬亦軍部内の反スクータと沢を一掃して第三次五ケ年計婁の賓行を容易ならしめよ
    しゆ′ヽせい

 うと企てたのであるとも見られるのである。
 なほスターワンが赤軍部内に発禁あるトハチェフスキー元帥を先づ血祭りに上げて乙の大清掃に
寄手したのについ<は、一つは乙れ程の1とをやつ1も大丈夫であるといふ自信の程を示してその
威信を開民に知らしめたのであるが、それには十分な確信と準備とがあつたのだといふ乙とを窺ふ乙
 ゐしん
とが出水るのである0孟即ち今度の粛軍工作で赤軍の指導者として優雰軒トハチェフスキ完帥を
初めその他の多」の人妄象りに↓げ笠し篭、それによつ嘉軍は崩壊し或は翌られるとい
 ふ想像は常らないと1ろで、乙れが咋やに彗・スタータyの曙裁は強壮され、赤軍の統制が完化さ






れて赤笹の究カほは何等の轡化がないであらうといふ警域的な観測が行はれる所以である0串賓、赤
                                 ていトhい
軍の部内に多少の動鴇は起るであらうが、革命以凍、永い間停滞して打た亦革幹部の人事が、今岡の
粛軍の結果として異動が行はれる乙とになるのであるから、却て赤軍の部内に一脈の新らしい壌気を
吹き込んだ乙とにもなるのである0何れにせよ、今日の情勢では封亦畢朽締工作はスクータソの計筆
 通りに進められ、彼は漁期されたやうな収穫を収めるであらう0
 なほ今度のトハチェフスキ上北帥以下の陰謀布件が、過去に於ける車件のやうほトアツキー減の指導
によつたものとは発表されなかつた。乙れは従来の合同本部乃至並行本部串件と異なる勅で参るが、
某外岡と通謀したと稀して居る郵は、合同本部案件にはドイツとラトゲィアが関係参りとし、並行本
部本件では日本とドイツとを引き合廿に出して居るのと同磯で、乙れは狗裁政治のソゲイエトの乙
と、て絶て断定的に高儀的に断行して民衆に批判の飴地を輿へないために、最も都合のよい東園的
救逆行壊を取り上げたのだと見られて居る〇
  凶 事件の反響
 トハチエフスキエ冗帥以下八人の銃殺に封して、英朗のクイムス紙は「まだ事件は峠を竣してゐな
                       ひ コ
い」と批評したが、賽に於て依然として流言費語は盛んに行はれて居り「東工業人民葬貝部金巌工業

長官のグレゲイツチの自殺説を初め、重工業、樫工発、蛾道、ソフオーズの各人民秀貝部、各甘省、
職米組合の中にも多数の逮捕者があり、赤軍の牌枚中からも駐に虞刑者を出ずであらうと見られて居
り、ジヲージアの掴部アフグジャn治兆和拘その他に於ては希甘丈の約牛故に及ぶ逮捕者を出したと
の説もあり、沌瑞の開に舶ては勿論、小央地方を通じて叩舶の及ばざると乙ろなきソゲイエトに於て
すら未曾有の大柄捕工作であり、愕惨正大弼舶が行はれつゝあるので、仝ソゲイエトの人心は甚だし
          −ヽノち
き不安と動捕の神に参る乙とは塀はれヂ、特に閉場のウクライナ地方に於ては何等かの沌大事件が
一はつはつ
幼敬し陀との凪碓ずら怜へられて焙り、何度翌で描大枚旭ずるものであるかは預断…衆ない情勢である0
 和して乙の亦恥の大叩触が各桝に封して輿へた彩坤は村営沌刻なものが参り、利劣約係の深くない
アメリカでは・「何か計北几が冷つたとしたならば、それは外向血Wではなくしてスクープソ非番記長に
封ずる計塞でみつたらう。狗北政治で参る以上かゝる陰誠の韓生は免れない」(ボストン・トランスク
                                                  さう「−
サブト紙)とアヅサワ皮蜘つて焙るのであるが、フランスでは「フランス政府はソゲイエト政府と相互
 軋んじよけふてい
搾肋協定を結んだが、亦iの甘脳部がスクータン舘塘記長への反戚翌たは他の理由からドイツの手先
                                しんらつ
きとなるやうでは相互授助は何の役に払エ皿たない」(クーブル紙)と辛辣に皮肉り、更に「スター,ソ
        lつさつ                             け・てい
代は仲間を抹殺する乙とによつて同時に俄蘇南開岡の耳串協定をも殺してし慧つた」(∨プブターク
 紙)と押して桝るのは注目ずべき乙とであらう。