第二三号(昭一二・三・二四)
 東北振興計画の要領        内閣東北局
 欧州の観光事業           国際観光局
 我国の自動車数          資 源 局
 在米邦人の現況          外務省情報部

 

  欧洲 の 観光事業
                     囲 際 観 光 局
 欺洲観光車菜の漑称を見るに、乙れを大攣一つの投階に分つ乙とができる0
                           かり
 その第一期は欧洲大戦前までの時期であつて、乙れを仮に受動的観光事乗切時代と名付ける。鉄
道、汽船に始空る十九世紀以後の交通事情の尊展に伴つて、一般放客移動は月ざ空しい増加を薙げ、
                          ふゆう       い妊
圃際交通も亦著しい現象となつた。その結果軟洲の各地には、主として富裕な放行者を封森とする朗
 ゅる                             壱うれい                        あつ甘ん
謂観光地、操養地の繁粂を凍たし、都市にはま氾壮麗なホテルが建設ゼられ、密漁発者、流行斡旋発
      きふいん
者等は放客吸引の灯めの寛倖その他の万乗姦デるやうになつた。要するに凍行文他は乙の時期に於
て眈に著しい程度に慧で韓展を薙げたので為る0怨し各圃と室乙の瓢卦事業に封する同家の蹄心はま
                                          くh九しん

だ少くて、別に乙れに鞠し積極的政策を考ふる空でには至らなかつた。
                   へいモJヽ            くわいふく
 第二如は大戦敲後の時期である。職零中屏息してゐた放行交洩は平和の快復と典に、反動約に著
                きんちや}
しい活況を鼻した。一には戦卒中の緊張から休養を求めんとする心理的理由と、一には戦争直後の
              かはせ     ふきんかl                                  てい九ん
特殊現象としての角容踊係の不均衡により、或る団々にとウての外国旅行が非常に低廉となつた乙と

によるので為る。かくして大戦前ほは主として上層階級に限られてゐた施行が、融合の全般に普及ア
                                          あつ甘ん
るの傾向を生ずるに発つた。乙の状勢に封應して各固の観光地、交通発者、旅行斡旋業者等は、放行
焚を低減しサービスを改善して盛んに旅客の誘引を固つたので、乙の傾向は攣桝咄が加へられた0
                       い・フいん

かくて乙の岡際旅行交娼の増大が一同絆沖に及ばす影響は極めて頼著なものとなり、或る閑々にとつ
ては乙れが甚だ沌要な肘沖となつた。そ乙で大戦の損失快復に汲々たる軟洲譜閑が乙の新しい闘際経
    いんし                             きけつ
沖の尚子に斉日する乙とゝなつたのは常然の締結で参つて、各闘は等tく乙れに関心を示すやうにな
                                ゆだ
 つ托。その結苑料光景悼を従凍の如く交漁共著その他の私的寛倖に委ねヂ、国家が湛んでその集中的
笥侍に手を下す乙とになり、欺洲各図に相次いで公設の中央賃俸繊細が創設せら打たので参る。帥ち
        いうち   ほだ・フ
快洲諸岡が外客誘致即発を祁牟ずる乙とゝなつたのは最初は右の如く単なる粒節約動機から出発した
 のである。従って乙の時期を能動的耗沸的槻光事兼の時期と稗する乙とが出水るで参らう。
 第三期は現存の如き開発的観光事発の段階で参る。観光事業が、その経済的効果から見て、貿易と
兜行して、同氏紬桝上板めて蚤要な串栄で参り、固家政発の封象たるべき重要性を有する乙とは常然
 であるが、欧洲細岡に於けるその後の和光即発の展開は、単に座餅的方南のみでなく更に一層重要なる
                ふ よ
鞄粘から乙の串光に高い意義を賦興する乙とゝなつた。それは即ち乙の事業を通じて行はるゝ固カ、
    せんや・)
 同情の宣揚である。囲の風土文物を岡外に紹介してその固への衆訪を勧めると乙ろの観光宣倖が、










                                    て・一
その駒の具倍を知らしめる上に如何に貢献するものであるかは乙ゝに喋々するを要すまい。又放行者
                                                             l
の兇脚を通じて岡外に倖へらるゝその固の姿が図際理解に如何に大きな効果を有つかも乙ゝに多言を
要せ瓜と乙ろである。乙れ乙そ最並の欧洲各国が観光事栄に於て特に費粘を置くと乙ろであつて、狗
怖伊等の各固は切瞭に乙の鮎を観光事米の第一の使命として掲げてゐるので参る。かくて経済的、文
化的耐而から槻光節菜は固毅的関心事となり、列閑は挙って乙れが開発的施設経沓を固る乙とゝなつ
た。槻光事発の釆要他の認識と共にその組織も靖大整備ゼられて、一は観光事業機関の指導統制のた
めに、一は集中的茸件のために、夫々適切な組織が各開に於て作られてゐるので参る。
 乙ゝに附言を要するのは、以上は主として開際観光事実について述べたので参るが、国内的観光事
発も弥観光事兼の国策上乗要な意義を有アるもので参る。即ち観光事業は同氏保健上の重要性と共
                        くhんlす
に、旅行を通じて見聞をひろめ闘士への変著心を喚起すべき同氏教育上極めて重要なる効果を肴する
                                        い・)一∧き
もので参る。従つて閣内観光横綱を指導統制して同氏の放行運動の正しき誘接育成を固る乙とは乙れ
また極めて重要な乙とで参つて、・乙の澱も近時の狗伊及蘇聯邦に於て特に開発的に重要観ゼられてゐ
 ると乙ろで為ソる0
 以上の如くにして軟洲諸岡は観光事業に射し重大な賄心を梯ひ、乙れに封應アべき組織の充箕を固
ってゐるので参るが、以下乙れを主要国について略述しよう。

 ドイツ 一九ニ○年に固有政道、汽船曾敢、軌光地等の共同出資によつて狗泡放客誘致中央局と
 いふ中央義閑が設けられたが、宜停の☆行上出費者の刺客が必ずしも一致せ氾ので、その後非同出
 資の組織を厳し、一九二八年金部を閲有蛾道に於て引受け固有蛾道の姉妹曾敢とずる乙とになつた。
 それに輝ひ名栴も岡村地道中央和光局(略称氷りX)と改められ現在に及んでゐる。乙れは凹十箇固に
 四十三箇所の出張所乃車出張貝を鞋いてゐる。更に一九三三年固民政化宜俸省の創設と共に、その内
 部に仝狗観光委員禽なる確約が設けられ、鵬係各省より夫々委員を網凝して、乙れが観光事業の最高
 指導横綱となり、外聞寛停についてはその兜行棉絢たる固有蛾道中央軌光局に指導祁助を輿へる乙と
 となつたのである。叉観光委員曾の創設と同時に灸狗逸の観光地、都市等の観光野栄関係剛健は統一
、され<各狗逸租光聯脱が結成され陀。その常任理解長は観光委員曾の常任委員長が粂任する乙とにな
 つてゐて、両者が常に塘接な連絡を保ち縛る械考慮ゼられてゐる。
  フランス 一九】九年の法令を以て和光地、療養地の統制が行はれ、その以前からエ部省内に参
 つた蹴光局(略栴オント)を観光事米の中央機関として親足したので参をが、統制指導的業務と箕際的.
 義務とを併有してゐる乙とから種々の不便が起つたために、一九三五年新法令を乾布して組織を
                                               しもん
 鍵更する乙とになつた。本令に破ると最高指導棉閑は工部省内の観光盈督局で参り、更に乙れの諮問
 械腕として観光委員曾が参る。乙の横鵬の鹿督下に立って宜倖の賓行に骨る横綱は公益法人たる観光










 事業中央振興曾で参る。即ち従凍の観光局の二つの増俄が夫々別の機鵬に代表ゼられ<ゐるわけで参
 る。乙れらの下にまた、ドイツと同じく金団軌光聯盟ハ略稗エッyイ)が参る。
 イクリI 一九一九年観光宜停の中央機鵬及観光軒発の指導閑凝横綱として、牛官的狗立場抑光
 る観光局(略稀エエ,ト)が創設ゼられ、大いに活動したので参るが、一九三一年には更に観光盈督
 局が設けられて、最高の指導機能は乙れに移った。従ってエエタトの兼務範囲は縮小ゼられ、主とし
 て宣件の箕行と観光統計の集成の任務に骨り、盈督局の執行増閲として活動する乙とになつた。更に
一九三五年情報立体省の設立と共に和光兇督局は同省内に輸入さるゝことゝなり、祝光事業の開発的
 統制が確立ぜられるに室つた。
  イギリス  イギプスはドイツ、フランス、イク,−よりもヂつと遅れて観光事発に賄心を梯ふや
 ぅになつた。漸く一九二九年に室つて英変流行産業宣倖協曾なる横閲が創立されたので参る。乙の磯
 師は外客の誘致及英繊商品の塞停を併ぜ行ふもので参つて、その経費は政府の補助金及鉄道、汽船曾
 敢その他公典噂餞のH費に倹っものである。
  スヰス  ヌヰスの観光事業の中央横陶は金団観光事栄開戦協曾で参る。乙れは政府よりの支出及
 公共潮鰻その他よりの寄附によつて維持ゼられ、官費行機鵬として別にヌヰス軌光局を設けてゐ
 る。人呵スヰスの観光轟の一年は聯邦銀淀によつても途行ゼられてゐる0

 以上主要固の観光事業組織の概況を述べたので参るが、乙の外欧洲各国に於て公設的観光事業横閑
 を材托な小ものは殆とないので参つて、オーストヅー、チエッコスーパキア、ハソガ,−、ポーラン
 ド等何れも盛んに料光宣停を行ってゐる。殊にユーゴースラビア、ギブyヤ、トルコ等の如き、執れ
 も開家の政策の一として積極的に最近著しい進出を見ゼてゐる。又ソゲイエト聯邦は外客斡旋のため
 にインツー,ストなる横閥を設けて観光客の吸引に努めてゐる0
 次に乙れらの譜明に於て固家が観光事業に封してとの位の支出をなしてゐるかといふと、その額は
 各圃非公表してゐない為に詳細は不明で参るが、フランスの経済審韓曾の観光事紫調査報告書その他
 によると、大礪次のやうになつてゐる0
 ドイツでは同氏教化宣倖省内の観光委員曾の事業には発何の支出をしてゐるか不明である。固有故
 道中央軋光局の年庇支出は約大官萌†Iクで、その大部分は固有銭造により支押される乙とになつ<
 ゐるが、その外に睨光委員曾及観光聯盟からも宣停費の供給を受けてゐるやうで参る。イク,−の情
 報宣倖省の一九三六年度浄算は総額五千五官萬リラで、その内観光事菜の分は二千官六十一常,ラで
 ある。叉観光局(略稀ユニット)の封外宣停費年額は約凹官七十萌yラで、その内聞家の支出額は二
宮五十常,ラである。フランスは一也三四年の観光局(略称オント)の預算が川官九十常フランで、
 その中開庫から八十常フラン支出されてゐる。イギ,スでは英変旅行産業宣倖協曾の年経費はこ萬四








 千ポンドで参つて、乙れは政府及地方自治餞の醸出より成つてゐる0スヰスは観光局の絶経費約二十
 三萬瑞フランで、その申二十常瑞フランが同席から支出されてゐる0
 更に軟洲観光郷菜をその近年の成績の推移について一瞥するに、他の語意発と同横、一九二九年の
 好況以後は何れの刷に於ても甚だしき不況を経厳したので参るが、乙の粥三年に於ては二三の囲に於
 て再び著しき恢徹の兆を示しっゝ参る。怨し乍ら軟洲観光事業は互に他を制し三且倖に和学♪結果一
                           くhん甘いしやうへ▲す
 の著しき固際競塀を具してゐるので参つて、貿易上に於ける関税障壁、割官制等の如き現象が乙ゝに
                ばうあつ          ごけい
 も亦見られるのである。即ち開外施行の防週乃至制限、或は相手固との互意的條約によるツー,スト
                               ■■く
 の供給等乙れで参る。然し叉一方に於ては圃際交通を促進ずべき協調的努力も行はれてゐて例へば
                                            つ・つ−一l−hん
 パブに於ける閑際租光事業中央振興曾では各固政府又は公的機賄の参加の下に、放券制度、通鞠手領
 の改善等閑際交泡の便益の増進を固つてゐる。又欧洲は共同一致して、他大陸主としてアメ,カより
 の旗客誘致を為さんとの考の下に軟洲観光宣倖機関国際協誘曾の如き横綱も設けられてゐる0
 以上は軟洲に於ける観光事業の概観で参る。終りに、従凍アメyカ合衆固は軟洲への主要ツー,ス
 ト供給圃で参つたのであるが、それ自身は外客誘致事業に冷まり牌心を梯はなかつた。触るに最近は
乙、に於ても開発的旅行振興繊細の設立が具贈位しっゝ参る。又顧みて末洋に就て見るも先年我囲の
                                   ていけりい
提唱に係る氷洋和光曾韓の成立を息、我国を中心として東灘諸邦は相提携して観光事業に進む乙とゝな
                                 lす一ほ
った。かくて最初軟洲を舞婁として起った観光事業は今や世界的規模に空で凝展してきたのである・