第二一号(昭一二・三・一〇)
 五箇条御誓文 奉戴七十年に当りて  林内閣総理大臣
 五箇条御誓文の由来         文 部 省
 農地法案に就て           農 林 省
 我国財政の変遷           内閣統計局
 コンゴー盆地条約とは        外務省情報部

 

  五箇條御誓ふ芸奉戴七十年に常りて

                     林内閣絶理大臣

                        ’し●−
  今を蛍る七十年前、慶應凶年三月十四日、長くも 明治天皇は敷尉蹴に出御逝
      く げ          ち r   、、か でう 、−せいlん
 ばされ、親王、公卿、諸侯、宵宮を率ゐて天紳地武を余軋五筒條の御誓文を御親曾遊
                                    ●†・,†
 ばされたので参ります.乙れは申す萱でもなく明治維新に於ける国是の大方針
 を明らかに御示しになつたもので参り会すが、その天紳地祓を祭り特に御誓文
 の形式をとられ空したのは、祭政一致の御梓紳に出でさゼ給うた乙と1拝察い
  たすのであ∽ノ卑小▲ア.
                              くh●’‡
  明治維新は賓に我が三千年の国史に於て最も光輝参る部分をなしてゐるの
 で参り会す.かくの好き光輝参る政治上の大雄新が如何にして成し薙げられた
             おほ み い つ           いはくちとl さ
 かは、一に 明治天皇の大御稜戚にょるので参り会すパ石倉異観公は乙の大雄新
   号んくhく
 に参婁ゼられ空した主要な人士でありますが、公は我同の台典に樗通してゐ陀

                                                                      \                     けん hV ●り血r・)●、・’ のつと               lと
 玉松操の詮に兆き、維新の政治は雄武の小輿.に則らヂ.紳武創米の御梢紳に原プ
 き、政治に大改却を施さねばなら瓜と描く考へられ、乙の趣を胡杜に岬し上げ、
         ご か なふ        hIせ√・小く こ      くいんはつ
 天皇には之を御妨納遊ばされ、遽に‡政紘巾の大地令の漁発となつたので参り
 甘心す.乙れは山段應三年・丁二月の串で参∽ノ芝すが、年を槌えて山座席凶年L即ち引治元

 年の正月早々には伏見鳥羽に戦が起り、結いて官界が光に向ふといふやうな革
                                か,はい
 情で、未だ岡内は騒然叱るもので参つて、詣侠の中には滑向滞に迷ふものもあつ
                                     ほ’けん
 托ので参り会す」そ乙で朝徒に於かゼられては、乙1に常務の封趣的維榊度を一
 新し、庶政の改革を周るべき団是の大方針を御宜布になり、人心の如妙に努め給
                                                   ご 甘ん ぶ



       むか
 ひ、民志の幣ふと乙ろを、お示しになつ陀ので参ります.
  五箇條の御背丈は・斯の如くして御韓布になつたので参ります」常初に於ては
 天皇が岡是の大方針を公卿諸侯と御h腎約になるといふ轟で参つたのであり染
                        もと
 すが、それでは岡憫の本義に侍るといふので木戸孝允の趣読により 天皇が親
                                   は・’hhい
 し・く天地紳別に響はれ、群駐は之に随ひ、恭しlく翌恵を奉戴い托すといふ事にな

 つたのであり会す.滋に於て怨政一致の 大御心にも叶ひ五筒條の御▲誓文の魯




                                                     ■■■l






         甘ん】りい
  い乙とが愈」開明にせられたので歩けノ斡血す.

  次に五‥筒條の御誓文に放て絃しむでそめ大意を申し上げたいと思ひ会すd
           おこ ばん・▼ ▼ヽ・)ろん
   一鹿ク曾萬ヲ輿y萬横公論I−決ス へ y

 と申しますのは、公正なる輿論に重きを置かれた御趣旨と拝察致しま†
                   けい▲ワん
   一上下心ヲ一エシテ盛エ廃線ヲ行フ へ y
     くhん月 いつ と             と       ,土
   一宮武一逸庶民旦室ル滋各其志ヲ速ケ人心ヲyタ倦サブyメゾ事ヲ要ス
               入lノてい
 と参り空すのは、政治の要帝を申されたのであり空して、時々その情勢に鷹じて
 適切なる政治を行ふに常妙、如何なる時代を粗じても襲らざる根本の御梓紳を
 あ示しになつ陀ものであ叫ノ斡−す」
         ろ▲フしふ
   一昔水ノ随習ヲ破,天地ノ公道●−基クへy
 と参り空すのは、最も注意をして秤譲すべき箇條であ畑空して。青木ノ障智ヲ破
 ’しと参∽ノ会す穎いあ青菜の中に維新の大構紳が端的に言ひ表はされて居りま
                                          か広
 す.而して「天地ノ公道エ基クへ y」と乙れを受け<、時と虞とを超地して常台漁ら
                                    ■‡こと
 ぎるr天地ノ公漣I−基クしべき咋を仰せられ陀のは拘に食い御趣意と申さもばな

          い てき いや
 り芝ゼ瓜.外人を爽秋と贈しめた恋風、同じ同氏の中に特に差別をつけ今日口に
      はr
 するだに怜かるやうな富来を以て脂しめた陣風、それ等は仙骨天地の公道に反し

 たもので参り聖す.乙の阿智を枝り外人と糾しく交際し、又四民平等何等差別的
                                 ゆう h
 の待遇を認めないやちノになつたので参り空して、所謂融和事▲業なるものも簡に

 乙の御趣意の衷はれで参り空ずゥ天地の公道に基いて政治が行はれ慧すならば、

 拘毅は常に平和で参り会す−絶て同家は和を以て貴しとなさねばなり萱ゼ瓜.
                    く卜っ▲す  しん き
   一智柚ヲ世界エ求メ大エ 盈兆ヲ振起ス へ y
 と参りますのは、文化.方南に於て世界に接鯛し、彼の長を採りてわがものとなし、
                                                こう ば   よく1いん                 さと
 文化の向上と圃カの増進を周り、以て大いに洪韻を翼啓ハし奉るの必要を諭され
 たので参阜】芸ナノ.

  何我々同氏として忘れる乙との出家ない乙とは、五箇條の御誓文の後に参る
 あ言菜で参阜ます.旬ち
             み r ウ
   我固未曾有ノ也竣革ヲ▲馬ントy
                             こ¢
   股舶ヲ以チ衆エ先ンy天地紳明エ誓七大エ斯国是ヲ定メ苗民保全ノ邁ヲ









                   けふしん
   立yトス衆亦此旨趣エ基キ協心努力セヨ
 と仰ゼられてゐるので参阜空し▲て繊に有難い御恩召のほとを拝察する乙とが
 刑務るので参身空す.

  之に射し奉鼻、親王公卿諸侯は
       くいりゑん
   勅意宏速髄I−以夕戚銘I−不堪今日ノ急務永世之基礎此他l】出へカラス持等
   …曙チ
       入い し                   げん叫ん    こひq〆亡
   叡旨ヲ奉戴y死ヲ曹七屯勉後事 巽 クハ以タ
    しん●ん
   富襟ヲ安y奉ラa
 と奉答申し上げてゐるので参ります..
                                        しんかん                        亡ヰん
  而して更に 明治天皇は乙の日 御裳翰を働は卓上記の御趣旨を辞々と同
 氏一般に御翰しになつてゐられるので参ります.その 御裏翰の日南に
          にはか たいとウ つ
   険幼鏑ヲ以チ狩I【大統ヲ紹キ南本何ヲ以チ常閑占封立シ
        つか         ●よ17′ヽ
   列租l【串へ奉ラント朝夕恐憎Il堪へサルナタ
 と仰ゼられて居り会す.又モの中程に

    除コ ヽエ宵宮箔侯卜朗ク相L誓ヒ
               コ ゐ け・−  けいじゆつ                         さづか                 おくてl
    列仙ノ御偉業ヲ拙速y一身ノ難難事昔’同ハス親ラ四方ヲ座骨y汝億兆
                     は hトラ
    ヲ尖撫シ遭1【 ハ常里ノ汲涛ヲ拓開シ
                     ふ がく
    閲戚ヲ四方エ宣▲布シ天下ヲ富岳ノ安キー一定ソ コトヲ欲ス
  と仰せられて居らます.槻の為民の角 大御心をかく已であ憎まし遊ばされ空
  した乙とを押し奉ら、七十年後の今日に於ても国民たるもの戚江せデして之を
  押碩する乙とは出水ないので参阜会す.
              こく ほ かんなん
   明治天皇には賓に固歩難難の際、大統をお紹ぎ遊ばされ、碓新の大栄を御完成
 になり遊に今日の如き剛鮎朝郎打基礎をお築きになり空した・五箇條の御誓文
                  せい号1フ
  を奉戴してより乙1に七十星霜固民はひとしく乙の三月十四日を銘記し、
              しの
  明治天皇の御恩悸を偲び芝つると共に現下の非常時局に廃し常に御誓文の椅
                    †いちゆう      いた              わいち▲l                           はつ
  糾を奉戴して愈ぐ栴忠の髄を放し、固機観念を明緻ならしめ祭政一致の掃紳を滋
     や▲フ
  揚しなければならないので参りノ“芸†