第一六号(昭一二・二・三)
列国の原料資源 資 源 局
我国の結核死亡率と乳児死亡率 内閣統計局
西安クーデターの全貌 外務省情報部
最近公布の法令 内閣官房総務課
我国の結核死亡率と乳児死亡率
内 閣 統 計 局
最近我国に於て、国民保健に対する関心が急に昂まつて来たが、是は独り我国に限つたことではなく、独逸、伊太利に於ても、強健国民要望の声が高く、又昨年の英国議会開院式に於ける同国皇帝の勅語中にも、大いに国民保健問題が強調せられたのであつて、今や同問題は世界的に民族運動化するの観がある。而して国民保健の立場から最も重要視せらるゝものゝ一つは、結核に依る死亡率であり、今一つは乳児死亡率であつて、此の両者は一国衛生状態の発達程度を示し、延いては文化のバロメーターであるとさへ謂はれて居るのである。
我国の結核死亡率は、明治三十九年、四十年には人口一万に付一九・八三、一九・六七であつて、何れも二〇台未満であつたが、四十一年から二○台を突破し、以後大正六年迄はニ○乃至二二の間を上下しつゝ次第に上昇し、流行性感冒の世界的流行を見たる大正七年には二五・二九(実人員一四〇、七四七人)と言ふ既往に於ける最高率に達した。しかし之を頂点として、以後漸減の傾向を辿り、大正十三年には遂に二○台を割り、昭和七年には一七・九八人(一一九、一九六人)と言ふ著しい低率を示すに至つたのである。尤も昭和八年から微弱ながら再び上昇を示し、昭和八年一八・八四(一二六、七〇三人)、九年一九・二九(一三一、五二五人)、十年一九・〇(一三二、一五一人)となつて居る。斯くの如く、我国の結核死亡率には、僅かではあるが、改善の跡を見ることが出来るのであつて、此の点国民保健の見地から慶賀すべきことゝ言へるのである。しかしながら、之を列国と比較して観ると、我国は尚屈指の高率を示して居り、一等国日本としては、甚だ不面目な状態にあるのであつて、今後とも国民一致して、結核の絶滅に努力しなければならない。
次に我国の乳児死亡率(出生数に対する一歳未満の死亡数の割合)は、明治三十二年から大正三年迄は大体出生百に付一五台であつたが、大正五年から著しく上昇し、流行性感冒の猖獗を極めた大正七年には一八・九と言ふ、出生の二割に近い高率を見るに至つたのである。しかし之を頂点として、其の後は若干の起伏を描きながらも漸次減少し、昭和の初年には一四台に、同五年以降は一二台に低下し、一昨十年には遂に一〇台の低率を示すに至つたのである。斯くの如く、近年に於ける我国乳児死亡率の改善は寔に著しきものがあり、大いに慶すべきことではあるが、之を列国と比較して観ると、まだまだ高率の部類に属して居るのであつて、我国の衛生状態は、此の方面に於ても未だ遜色あることを示して居るのである。