第一三号(昭一二・一・一三)
 新春を迎へて国民諸君へ       広田内閣総理大臣
 義務教育年限の延長         文 部 省
 関税制度改革の要領         大蔵省主税局
 防共協定の国際的意義        外務省情報部
 選挙制度改正要綱成る        内閣官房総務課
 最近公布の法令           内閣官房総務課

 

  防共協定の国際的意義
                      外務省情報部

 昭和の聖代第十二年の新春を迎へまして、皇国の基礎の愈々固く、国威の益々宇内に宣揚せられますことを祝福するを得ますのは、我々日本国民の特権でありまして誠に慶賀に堪へない次第であります。
 顧みますれば昨年は、世界各国共に多事な年でありました。欧洲に於きましても、東洋に於きましても種々重大な事件が起つたのでありました。御承知の如くスペインの動乱の影響は全欧羅巴に波及致しまして各国の関係は非常な緊張を来し、一部の人は今にも第二次の世界大戦が勃発するのではないかとさへ憂へたのでありましたが、一方支那に於きましても抗日運動が激化して日支関係は甚だ悪化したのであります。斯うした国際情勢に処しまして、帝国の外交も頗る複雑となり、且困難を加へてあつたのであります。抑々今日の帝国外交の方針は、詳しく説明すれば限りもありませんが、其の要点は、満洲国の健全なる発達を促し、日本、満洲、支那三国の緊密なる提携に依つて東亜の安定を図ると云ふことゝ国際信義を敦うして各国との協和に努めると云ふことに帰するのであります。
 昨年中帝国外交上の最も重大な問題と思はれますのは、十一月二十五日に日本とドイツとの間に調印されました、共産インターナショナルに対する協定、所謂日独防共協定であります。日独防共協定の成立を以て、現存の国際情勢に一つの紀元を作つたものであるとさへ批評して居るものもある位で、従つて各世界に対して相当な反響を起したのも無理はないと思ふのであります。
 一体此の日独防共協延は如何云ふ必要に依りて結ばれたかと申しますと先づ第一に挙げねばならぬ事は世界の赤化を目的として、各国に対し悪辣陰険な運動工作を行ひ、各国の国礎を破壊し社会を攪乱せんと企てゝ居る共産インターナショナルの活動が、世界平和の一大脅威であると云ふ事実であります。次に帝国と致しましては共産主義が我が國體と容れず又支那の赤化が深刻となり、満洲国が攪乱されることは結局東亜の安定を害する所以であると認めたるが為でありまして故に本協定に依つて赤化工作を防遏し共産主義運動を排撃し、以て東亜の安定を保持すると同時に世界の平和増進に寄与せんとしたものであります。
 共産インターナショナルは之を略して普通コミンテルンと呼び又第三インターナショナルとも称せられて居るのであります。e第三インターナショナルとは社会民主々主義者の国際結社でありまする第二インターナショナルと区別する為名付けられたるものであることは御承知の通りでありまして、大正三年世界大戦が勃発しました際第二インターナショナルに所属して居りました各国の社会党若くは社会民主党が平常の主張に反して各其の国の軍事予算を協賛したので、之に憤慨しましたレニン一派の最左翼の連中が第二インターナショナルを脱退してロシアに革命を起し其の結果として大正八年に至りて組織せられました共産党の国際的組織であります。共産インターナショナル即ちコミンテルンは其の本部をモスコーに又其の支部を世界各国に持つて居る世界革命の参謀本部とも云ふべきものでありまして、プロレタリア独裁制の樹立に依つて世界革命を実現しようとする根本方針を持ち、各国の政治組織、経済組織、社会組織に対して凡ゆる破壊工作を行ひ来つたのであります。
 此のコミンテルンの活動は一時全世界を風靡致し、イタリーやドイツの如きも共産主義の勢が非常に盛になり其の為に共産主義的革命が起るかとさへ憂へられたのでありました。然し其の後イタリーにはムッソリーニ氏に依つてファッシストの政権が打ち建てられ、ドイツにはヒトラー氏に依つてナチスの政権が現れまして、共に共産主義を排撃し赤化工作を弾圧するに於て至らざるなしと云ふ有様でありましたので辛うじて亦化の危険を免れ得たのでありますが、其の他の各国に於きましても反共産主義の勢力は漸次強化され共産運動排撃の気運が昂まつて来たのであります。
 斯う云ふ風で昭和三年以後、コミンテルンは暫く其の運動を緩和して来たかに見えた為一部の人は之を見て安心をしたやうでありましたが、識者はコミンテルンの世界革命的理想は決して放棄されたもので無く運動の緩和は戦術であり一時のカモフラージに過ぎずして少しも油断が出来ないと云ふ事を夙に認めてゐたのでありました。果せる哉一昨年の七月モスコーに於て開かれました第七回のコミンテルン大会は、西洋に於てはドイツ、東洋に於ては日本を目標とすることを宣言すると同時に従来のヤリ方に一大転廻を試みまして、今迄犬猿の間柄であつた第二インターナショナル、即ち穏和な左翼団体である社会民主々義的の諸勢力と提携して、各世界に亙つて共同戦線を張ることを決議致したのでありました。之は要するに従来のプロレタリア独裁をカモフラージしてデモクラシー擁護の旗幟を掲げ、破壊的方法を隠蔽して合理的な欺瞞的手段をとることにしたと云ふことであります。此のコミンテルンの新戦術採用の結果として現れましたのがフランス、スペイン等を始めとして幾多の国に擡頭致した所謂人民戦線でありますが、特に支那に於きましては抗日運動と結びついて抗日人民戦線なるものが結成され、抗日の仮面の下に赤化運動が激化して来たのであります。
 先づスペインの事情に付ては既に新聞紙上等で御承知の通り昨年二月成立しました左翼政府に対しフランコ将軍の率ゐる右翼の一派が蹶起して相争ふに至つた為同国は今や全国を挙げて破壊と殺戮との巷に化して居るのでありまして誠に同国民の為同情に堪へない次第であります。
 内乱により全スペインに亙る死傷者は十数万人に上り首都マドリッドに於ては政府軍たる左翼軍と革命軍たる右翼軍との攻防戦が繰返へされて居りまして一時右翼軍は市内の一部を占領しましたが、増援を得た左翼軍に撃退せられ目下対峙の姿にあるやうであります。右翼軍の飛行機による爆弾投下や、砲撃によりまして市内目貫の場所に在る大建物等が破壊せられたり、無辜の市民が生命を失つたり、傷ついたりする惨状は目も当てられないとの事であります。右翼軍がマドリッド攻撃の為前線に配置したモロッコ駐屯軍及土民軍の死傷は既に一万数千と称せられ如何に内乱の惨憺たるかを思はしめるものがありますが、此の動乱の影にコミンテルンの活躍があつたことは周知のことであります。而も此のスペインの動乱は既に半年に垂んとして何時果つべしとも思はれず、為に、全欧洲は非常な不安に陥つて居るのでありまして、誠に恐るべきはコミンテルンソの活動であります。
 更に支那に於ける状況は、コミンテルンは其の成立後間もなく、東亜諸国中或る程度の国民運動乃至反帝国主義運動の勃興して居りました支那に最も望を嘱しまして、支那の同情を獲るに力めると共に其の指導の下に中国共産党を組織させ、之を最大の武器として支那の赤化に乗り出したのであらります。即ち内乱が続き多数の民衆が困窮して居つたのに乗じ民衆を煽動して毒牙を磨いたのみならず、国民党の容共政策の結果としてコミンテルンから派遣せられたボロジンの如きは広東其の他に於て常に其の帷幄幌に参画して居つたのであります。其の後蒋介石氏が共産党と手を切り南京政府を樹立するに至りました後も支那の中南部には共産軍が跋扈し、処に依つてはソヴィエト政府さへ樹立せられたのでありました。国民政府も事態の容易ならざるを知りまして、数年の年月と多大の軍費とを費やしまして、之を征伐し、漸く中南支から追ひ払ふことに成功したやうでありますが、之等共産軍は西比利亜に近い支那の北西方に逃げて尚機会を窺ひ動ともすれば支那の討伐軍をさへ赤化せしめようとして居る形跡が有り、又外蒙古や新疆を通じて常にコミンテルン本部と連絡をして居るのであります。
 加之昨年七月のコミンテルン大会で共産軍は党派の区別にかゝはらず支那に於ける排日抗日分子と結合して日本帝国主義に当るべしと云ふ決議を採択した為、支那の共産党は其の指令に従ひまして爾来宣伝及活動の方法を変更し、排日抗日の分子と共同戦線を張り、表面排日抗日を標榜しつゝ裏面に於ては赤化運動に全力を灑いで居ると云ふ有様でありました。今国の張学良の西安事件の背後に共産党の策動があつたと見られるのは誠に故なしとしないのであります。
 右の如き事態でありますので、帝国政府は昨年の日支交渉に於きまして南京政府に対して日支防共問題を提議したのであります。之は全く日独協定と同様の主旨に基いたものでありますが、日本側の凡ゆる説明に拘らず支那側が未だ本問題の真意を諒解するに至らないことは両国の為又東亜の平和の為誠に遺憾に堪へないところであります。支那の亦化は世界各国の等しく憂へて居りますところで、特に帝国に取りましては、抗日運動を利用激化致しまする点と併せて非常な影響を受けるのでありますから、重大な関心を持つて居るのであります。
 帝国の外交方針は前述の通り東亜の安定を保持し万邦との協和を図り、以て世界の平和に寄与せんとするものでありますが、スペインの動乱、欧洲の事情は暫く措くとしましても、満洲国に共産主義運動が侵入し、支那に於て抗日人民戦線の仮面の下に赤化運動が激化して日支の関係を悪化し、延いて東亜の事態を不安ならしめます事は帝国としては拾てゝは置かれぬ重大問題であります。
 抑々コミンテルンは世界各国に亙り国境を越えて蜘蛛の巣の如き秘密組織を持つて居り、其の活動作戦は巧妙を極めて居るのでありますから、之に対杭するためには、同じく国際的の組織と協力とを以てするのでなければ到底其の目的を達することは出来ないのであります。今日迄此の点を疎かにしてゐたと云ふことは各国とも甚だしい手落ちであつたのであります。恰もコミンテルンは先づ日本とドイツとを目標として之に対し世界的共同戦線を結成しようと企てゝ居るのでありまずから、此の日独両国が憂を同くする各国を誘つて赤化の禍を防禦しようといふことは、極めて当然な事なのであります。
 世上此の日独防共協定に対して、誤解や曲解に基く種々な風説を聞くのでありきずが、此の点に付て此の際些か申上げて置き度いと思ふのであります

 既に東亜の安定が、我が帝国不動の方針であります以上、東亜を赤化の脅威から救ふ為適当な手段を執ると云ふことは固より当然なことであり今日ドイツとの間に防共の協定を結んだからと云つて、別に帝国の外交方針が変化した訳ではないことは勿論であります。日独防共協定は東亜の安定と云ふ我が方針の具体化であり其の実現の一つに過ぎないのでありまして、万邦和の精神に依り日支、日蘇の国交を整調し英米其の他の各国との親善を増進せんとする外交方針には固より何等変るところはないのであります。それを恰も日独協定を結んだのを機会として、日独提携して英米共の他の諸国に当らんとする新らしい外交政策を採つたのであると見るが如きは飛んでもない誤解か然らずんば曲解であります。
 日独協定の出来た結果、帝国は所謂ファッショの集団に入つて、日本の政治をファッショ化するのではないかと云ふやうな杞憂を抱いて居る人があると云ふことを聞くのでありますが防共協定の目的とするところは、単にコミンテルンの赤化工作を防衛することに対して、両国が協力するといふことに過ぎないのでありますから、仮令ドイツがナチス政治であらうとも、其の國體、政体或は行政機構の如何は何等の関係もないことであります。加之、日本は独特の國體を有し、 明治天皇の御制定に相成られました欽定憲法に基く立憲政治を行つて居る国でありますから日独協定の為日本がファッシの集団に加入したのであるとか、又は之が為ファッショの影響を受けようとか考へるやうな者は我が國體及政体の如何なるものなるかを知らない者であります。
 支那及満洲国に於ける赤化の防止に協力しますることは帝国の国是に基く重大なる任務であり、殊に我が大日本帝国は万世一系の天皇を戴く世界無比の國體を有する国でありまするから、此の國體の尊厳を冒し其の基礎を危くするコミンテルンの活動は如何なる犠牲を払つても断乎として之を排撃せねばなりません。斯う云ふ信念の下に政府は外交工作を進めて居るのでありますから、此の国策の遂行に伴ひ或は誤解より、或は曲解より仮令多少の副作用的影響が起りましたとしても之は固より忍ばなければならぬのであります。今日の如き複雑せる国際情勢の下に於きましては仮令正義に基きましたる国策でありましても其の実行には中々困難が伴ふのであります。種々の影響や副作用が必ず伴ふのであります、我国の如き特種の状勢下に置かれて居りまする国に於きましては特にさうであります。即ち我国の現状は如何なる方面に向つても結局荊棘を躇まなければ進めない状況に在るのだと思ふのであります。即ち荊棘を以て取り囲れて居るやうなものであります。荊棘を踏むの勇気と覚悟とが無ければ一歩も踏み出す事は出来ないのであります。荊棘を踏んで前進する場合我等の足に棘が立つこともありまぜう。擦り傷を受けることもありませう。然し棘が立てば之を抜取ればよいのであります。擦り傷を受けたらば之が手当をすれば足るのであります。荊棘の途が我が躍進日本の進むべき途でありとすれば我々は一つ一致団結して此の荊棘を踏んで勇ましく愉快に前進しようではありませんか。

    (本稿は一月五日有田外務大臣が全国に放送せられた演説の草稿である)



 訂正 本月六日発行週報第十二号四十一頁十行「十二月二日附」を「十二月二日公表せられた通り」と訂正す 外務省情報部