第八号(昭一一・一二・二)
 国民健康保険制度の要旨      社 会 局
 海軍志願兵に就て         海軍省海軍軍事普及部
 日独防共協定の意義        外務省情報部



日独防共協定の意義        外務省情報部

一 防共協定は何故出来たか

 帝国政府は万古不動の國體を擁し国家の安全を保護し進んで東亜永遠の平和を維持するを以て不動の国是としてゐる。
 ロシア革命の直後に、全世界の共産革命を目的とするところの国際共産党即ちコミンテルンが組織され、日本に対しても赤化工作が行はれ、共産党分子の活動を見るに至つたので、帝国政府は夙に治安維持法を制定して、國體を破壊し私有財産制度を否認するところの無政府主義及共産主義に対して、断乎としてこれを排撃するの方策を定めたのであつた。
 帝国は東亜の重鎮としてその安定を確保し平和を維持しなければならない重大な責任を有つてゐるのである。従つて、コミンテルンが東亜の安定を危うくし、平和を紊さんとしてその赤化工作の魔手をこゝに延して、隣邦諸国を混乱に陥れるやうな事態に対しては、到底これを傍観することが出来ないのである。是れ即ち、帝国が赤化の東漸を防遏する明確なる方針を堅持して、今日まで不断の努力を続けて来た所以である。
 然るにコミンテルンの赤化工作は全世界に亙つて行はれてゐるのであるが、最近に至つて愈々活溌となり、コミンテルンの指導方針は、東洋に於ては日本を目標とし、欧州に於てはドイツを目標として、その攻勢の急迫であることは、支那に於ける抗日人民戦線の結成、或はスペイン内乱の激化等の事実によつて窺ふことが出来るのである。こゝに至つて帝国政府としては、従来に比べて一層厳重な赤化防衛の方法を講じなければならない必要に迫られたのである。而も、全世界に緊密なそして強大な組織を持ち、巧妙な潜行運動を以て行はれるコミンテルンの赤化工作に対しては、同じく国際的の組織と協力とを以てするに非ざれば、到底防衛の效果を完全ならしめ得るものでないことは各国に於ける今日迄の事例に徴するも極めて明白である、而して日本とドイツとは、コミンテルンより均しくその目標とされて、赤禍の悩みを痛く感じこれが防衛の必要に迫られてゐる点に於て同じ立場にあるので、先づこの両国が共同防衛の協定を結んだのは極めて自然の成行である。

二、防共協定とは如何なるものか

 コミンテルンの活動は、変通自在、出没巧妙を極め、各国内に潜入して内部からその国家組織社会組織を破壊しようといふのであつて、この陰険悪辣な赤化工作に対して、日独両国は協力してその防衛の完全を期するといふのが、十一月二十五日に調印された日独協定の趣旨である。而も日独両国政府は、尚同じ立場にある他の国々に対しても、この防共協定に参加を勧誘して、コミンテルンの赤化工作に対する防衛陣を強化し、多くの国々との協力によつて世界を赤化の脅威から護らうといふ熱意を持つてゐるのである。
 右に述べたところに依つて明らかな如く本協定の目標とされてゐるものは、コミンテルンの赤化工作であつて、これが阻止及排撃の為、各協定国は相協力してコミンテルンの運動の総てにつき情報の交換、委員会の設置等を行ひ、防衛の方法について協議しまたその実行に当らうといふのである。コミンテルンは、公然モスコーに本部を置く団体ではあるが、その各国に有する支部を通して行ふ活動は潜行的、偽装的のものにして、勿論国際間に公の性質を認められた団体ではない。加ふるにその本部の所在国たるソヴィエト聯邦の政府もコミンテルンの活動については何等関知するところはないとか、之に対して責任を持つことは出来ないとか或はこれを取締る義務を有してゐないとか屡々声明してゐるのであるから、この協定が陽にも陰にもソヴィエト聯邦を目標としてゐるものでなく、その他の如何なる国をも目標としてゐるのでないことは明白である。
 かうした相互協力の取極であるから、協力者は多い程效果はある訳である。故に日独両国政府は、尚多くの国々が参加して呉れることを希望してゐるのである。然し、この防共協定に多くの国々が参加したところで、それは決してそれ等の多くの国が集つて、国際的に何等かの意味を持つところのブロックを形成するものではない。つまり協定は赤化工作の防衛といふことに限つて、各国が相互に協力するといふだけで、協力の目的は極めて簡単明瞭であり。為すべき仕事の範囲も限定されてあり、而も今後この協定を十分に運営する暁は各関係国内の安寧及社会の福祉は保たれるのみならず、世界平和全般に対する赤魔の脅威を除くことが出来るものである限り何等他に政治的にも経済的にも触れる必要がなのであり、従つて他に別個の協定等のある筈はなく各協定国が、コミンテルンの赤化工作を防衛するといふ目的に於て一致さへしてゐれば、政治的の立場や経済的の利害等にまで及ぶ性質のものでなく防共協定はそれ自体一つの大なる意義を持ち、それだけで充分であり完全であり、極めて特異な協定である。と云ひ得ると同時に又何等奇とするに足りない当然の取極であるとも称しうるのである。

三、コミンテルンの正体

 国際共産党、所謂コミンテルンは、モスコーに本部を置き六十余箇国に支部たる共産党を持ちこの全世界の共産党に指令するところの国際機関である。この『世界革命の参謀本部』と称せらるゝコミンテルンが創設されたのは、一九一九年の三月である。その創立以来、世界革命の完成といふ根本方針の下に、各国に共産党を組織しこれをその支部として国家組織を破壊し社会制度を崩壊するがために、共産主義の思想宣伝と実践的赤化工作を進め、実に今日まで十八年の長き亙つて執拗に、陰に陽にあらゆる工作陰謀を企て、時には凶暴なテロリズムまでも発揮して、世界の平和に非常な脅威を与へて来たのである。
 然るに過般の世界経済恐慌以来、各国に国家主義が擡頭し、殊にヨーロッパに於てはファッシズムが風靡し、到るところで共産主義派が排撃さるゝの情勢に陥つたのであるが、昨年七月、モスコーに開かれた第七回コミンテルン大会は、ファッシズム及帝国主義に対抗せんことを標榜し従来仇敵として相対立してゐた第二インターナショナル、即ち社会民主主義勢力の諸勢力と提携し、或は目的の為必要に応じては英・米・仏の資本主義をも利用して反ファッショ統一戦線、所謂人民戦線の結成を決議して急角度の戦略上の方向転換を行ひ、而も取り敢ずその活動の目標が、日本・ドイツ・ポーランドにあることを明らかに指摘し、日本と闘争するためには支那の共産軍をえんじょすべきことを決議したのであつた。かうしたコミンテルンの新戦術採用の結果は、それが忽ち各方面に事実となつて現れたのである。即ちヨーロッパに於ては、今年七月以来のスペインの動乱についてこれを充分に知ることができるのであり、また東亜に於ては、支那の国を挙げての抗日人民戦線の結成、抗日運動の激化、共産軍の活躍等によつて、如何にコミンテルンの活動がその方針通り著々效を収めつゝあるかは驚くの他はないのである。
 要するに、コミンテルンの赤化工作の主力は、その創立の初には先づドイツ・ハンガリー・イタリー等の中欧、東欧方面に向けられ、之等諸国が大戦後の疲弊と混乱が回復しないのに乗じて盛んに公然と内部の崩壊を策したのであつたが、その後ムッソリーニの政権、ヒットラー政権が起り且自己内部に止むを得ない事情があつた為その鉾先を潜行化すると共に、直ちに東亜に主力を転じ、瞬く間に外蒙古を完全に赤化し、新疆を殆ど席捲する一方専ら支那の赤化に集中し、更に最近に至つて全世界的の人民戦線と云ふ仮面を被つた実は共産赤化戦線を展開したのである。かやうにコミンテルンの工作戦術こそ時の情勢に応じて幾度か変遷を見たのであるが、その持つところの全世界の革命完成、各国赤化の実現といふ根本の目標には何等の変化も来たさず、否それを唯一の目的として生れた団体なるが故に変更する訳のものでもなく、現にその旨がコミンテルンの「綱領」書中に明記されてある。従つてコミンテルンの存する限り、日本としても寸刻も油断は出来ないのである。

四 欧米に於ける赤化工作

 右に述べた如くコミンテルンは、現在全世界六十余箇国に蜘蛛の巣を張り巡らした如く支部を設けて不断の赤化工作に没頭してゐるのであるから、従来各国共に多少に拘らず赤化の被害を蒙つてゐる訳である。その赤化の路線は欧米と亜細亜との二大幹線に大別され、夫々情勢に応じて異つて対策が用ひられてゐるのである。欧米に対する赤化工作は、ロシア革命後トロツキーの率ゐる軍隊がポーランド内乱に武力的援助をして失敗し、又ベラ・クーン一派のハンガリー革命運動を応援したが之も失敗した経験と自己内部の止むなき事情の為、一先づ陽性手段による攪乱工作よりも思想的侵略に重きを置くと共に、亜細亜の赤化政策に主力を集中し、これによつてヨーロッパの資本主義に打撃を加へようとしたのであつた。
 今其の具体的工作の実例を看るに先づイギリスに於ては一九二一年イギリス共産党が成立し、一九二四年には英国陸海軍軍人に対する赤化宣伝を指令したジノヴィエフ書翰事件が、一九二七年には所謂アーコス事件が起つて赤化の陰謀が暴露し、遂に英蘇の国交断絶を見るに至つたのである。その後一九二九年には復交を見たが依然赤化工作は継続され、昨年の第七回コミンテルン大会に関して、イギリス政府はソヴィエト政府に対して抗議をしたのであつた。尚イギリスに対する間接攻撃として、コミンテルンはインドの赤化にも非常に力を入れてゐる。一九二三年の印度に於ける革命騒擾に際しては、全世界の無産階級に印度革命支援の檄を飛ばし、一九二八年の第六回コミンテルン大会では印度革命の綱領を採択し、また一九二九年のボンベイの罷業には裏面にあつて大いに策動したのであつた。
 ドイツに於ては、一九一八年ドイツ共産党が創立され、ベルリンに対欧運動本部を置く等一時は共産党の全盛時代を現はしたのであつたが、一九三三年ヒットラー政権の出現と共に大弾圧を加へられ、今はコミンテルンの一大敵国となつてしまつたのである。これに反してフランスに於ては、一九二〇年にフランス共産党が生まれたが、政府の取締りが寛大なのを利用して露骨な共産主義の宣伝を行ひ、屡々仏蘇両国政府間に外交問題を起したのであつた。然しドイツに於けるナチスの擡頭に伴ふ独仏関係の悪化、対独工作としての仏蘇提携の結果として、共産党の指導によつて反ファッショ統一人民戦線が出現し、本年三月の総選挙に於ては遂に人民戦線が大勝し、共産党は三倍に勢力を拡大して盛んに活躍してゐる。その他維納には対東欧運動本部を設け、バルカン諸国を始め中欧各国とも、何れも共産党の組織があり、今や全ヨーロッパには剰すところなく赤化工作網が張り廻されてゐるのである。
 転じてアメリカを見るに同大陸に於ても共産党は各国に組織されコミンテルンの指令に基づき、活躍を続け居り、北米合衆国に於ける頻々たる工場労働者罷業、海港仲仕罷業等を大規模に指導してゐる現状で、このことは昨年のコミンテルン第七回大会に於て公然報告せられてゐるところであつて、当時米国政府がこれに付ソヴィエト政府に対して抗議を出して一時米蘇国交の危殆を案んぜられたことは今尚世人の記憶に新たなところである。

五、支那の赤化と抗日戦線

 コミンテルンの赤化工作は、組織の弱い国家乃至半植民地諸国或は文化の程度の低い植民地に於ては、非常な偉力を発揮してゐるのである。即ち支那が世界に於てソヴィエト聯邦に次ぐ赤化の大地域であることは、この事実を裏書するものである。
 コミンテルンの東亜赤化工作は、ソヴィエト聯邦の誕生と同時に開始せられ、一九一八年には早くも朝鮮共産主義者の韓人社会党が露領ハバロフスクに於て結成されたのであつた。然しコミンテルンが主力を注いだのは支那であつて、一九一九年七月二十五日のカラハン宣言は、正に支那赤化の出発点であり、一九二〇年にはコミンテルンから派遣されたその極東支部長ヴオイチンスキーの指導によつて中国共産党が結成されたのであつた。
 斯くて中国共産党はコミンテルンの指導によつて活躍し、俄然全支の赤化は猛烈な勢を以て拡大されたのであるが、更にそれに拍車をかけたのは一九二四年より二七年に至る、国民党と共産党の合作、所謂聯蘇容共の政策であつた。即ちソヴィエト代表のヨッフェと国民党首領の孫文との共同宣言に基づいて作られたこの国共合作は、共産党の勢力を支那の土地に深く根を下させたのであつた。一九二七年、蒋介石のクーデターによつて国民党と共産党とは分離し、而も蒋介石の弾圧のために共産党は一時地下に潜入すると共に、専ら農民の赤化に力を注ぎソヴィエト区の創建に著手し、一九三三年には瑞金を首都とする中国ソヴィエト共和国が現はれ、全国を通じソヴィエト区は約二百を算するに至り、また共産軍、所謂紅軍の数も三十万以上に達するの大発展を遂げたのであつた。
 然し、その後五回にる南京政府の共匪討伐によつて、瑞金は陥落し、ソヴィエト区は奪回され、紅軍は中部から追はれて奥地へと追ひ込まれたのであつた。こゝに於てコミンテルンの昨年七月の第七回大会の新戦術に従つて、同年八月一日に有名な『抗日救国宣言』を発して、統一国防政府及抗日聯軍の創設を叫んだ。これが即ち今日問題になつてゐる支那の抗日人民戦線である。コミンテルンのこの政策は、抗日の大旆の下に全支各階級の民衆を組織して全面的な抗日闘争を展開せしめ、南京政府をして再び聯蘇容共の政策を採用しなければならない立場に追ひ込まうとの魂胆から出てゐるのである。
 コミンテルンの支那に於ける抗日の指導は既に五・三〇事件にその端を発してゐるものであつて、今日の抗日人民戦線は、単なる罷業や排日の煽動ではなく、実に第三国内に於て対日戦争の準備を創り上げようと努めてゐるものであるから、日本としては深く警戒しなければならないのである。
 更に満洲国内に於ても中国共産党満洲省委員会があり、コミンテルンの特別指導の下に抗日合同軍と称する赤色パルチザン隊が組織され甚だ活溌な暗躍を続けて居り、満洲事件後一時衰へてゐた共産主義運動が擡頭せんとする情勢を見せてゐるのである。
 以上は日独防共協定の意義と経緯を概説したものであつて、本協定が其の目的とするコミンテルンの脅威に対する防衛を完からしめ以て東亜の安定と世界の平和に貢献する所大なるべきを疑はない。
 尚協定全文は左の通りである。

 

       共産「インターナショナル」ニ対スル協定

大日本帝国政府及
独逸国政府ハ
共産「インターナショナル」(所謂「コミンテルン」)ノ目的ガ其ノ執リ得ル有ラユル手段ニ依ル現存国家ノ破壊及暴圧ニ在ルコトヲ認メ
共産「インターナショナル」ノ諸国ノ国内関係ニ対スル干渉ヲ看過スルコトハ其ノ国内ノ安寧及社会ノ福祉ヲ危殆ナラシムルノミナラズ世界平和全般ヲ脅スモノナルコトヲ確信シ
共産主義的破壊ニ対スル防衛ノ為協力センコトヲ欲シ左ノ通協定セリ
   第一条
締約国ハ共産「インターナショナル」ノ活動ニ付相互ニ通報シ、必要ナル防衛措置ニ付協議シ且緊密ナル協力ニ依リ右ノ措置ヲ達成スルコトヲ約ス
   第二条
締約国ハ共産「インターナショナル」ノ破壊工作ニ依リテ国内ノ安寧ヲ脅サルル第三国ニ対シ本協定ノ趣旨ニ依ル防衛措置ヲ執リ又ハ本協定ニ参加センコトヲ共同ニ勧誘スベシ
   第三条
本協定ハ日本語及独逸誤ノ本文ヲ以テ正文トス本協定ハ署名ノ日ヨリ実施セラルベク且五年間效力ヲ有ス締約国ハ右期間満了前適当ノ時期ニ於テ爾後ニ於ケル両国協力ノ態様ニ付了解ヲ遂グベシ
右証拠トシテ下名ハ各本国政府ヨリ正当ノ委任ヲ受ケ本協定ニ署名調印セリ
昭和十一年十一月二十五日即チ千九百三十六年十一月二十五日「ベルリン」ニ於テ本書二通ヲ作成ス


            大日本帝国特命全権大使  武者小路公共
            独逸国特命全権大使    ヨアヒム、フォン、リッベントロップ 

 

      共産「インターナショナル」ニ対スル協定ノ附属議定書

本日共産「インターナショナル」ニ対スル協定ニ署名スルニ当リ下名ノ全権委員ハ左ノ通協定セリ
(イ) 両締約国ノ該当官憲ハ共産「インターナショナル」ノ活動ニ関スル情報ノ交換竝ニ共産「インターナショナル」ニ対スル啓発及防衛ノ措置ニ付緊密ニ協力スベシ
(ロ) 両締約国ノ該当官憲ハ国内又ハ国外ニ於テ直接又ハ間接ニ共産「インターナショナル」ノ勤務ニ服シ又ハ其ノ破壊工作ヲ助長スル者ニ対シ現行法ノ範囲内ニ於テ厳格ナル措置ヲ執ルベシ
(ハ) 前記(イ)ニ定メラレタル両締約国ノ該当官憲ノ協力ヲ容易ナラシムル為常設委員会設置セラルベシ共産「インターナショナル」ノ破壊工作防遏ノ為必要ナル而余ノ防衛措置ハ右委員会ニ於テ考究且協議セラルベシ
昭和十一年十一月二十五日即チ千九百三十六年十一月二十五日「ベルリン」ニ於テ本書二通ヲ作成ス


            大日本帝国特命全権大使  武者小路公共
            独逸国特命全権大使    ヨアヒム、フォン、リッベントロップ